コリアンとして生きる(1)
日本の教育を受けながらも民族に目覚め、在日コリアンとして誇りを持って生きていこうとする学生たちの寄稿文を今号から紹介する。
◇ ◇ 祖国に触れ自分を知る/まずはウリマルのマスター 駒沢大学文学部2年 金理香 私が民族について真剣に考えるようになったのは、地方の日本の高校を卒業し、東京の大学に進学してからだ。(写真は、今年の夏、祖国でチャンゴ体験した時のもの) 東京で1人暮らしを始めるためアパートを探していた際、朝鮮籍であることを理由に、何件もの不動産屋から断られた。数10件まわってアパートはようやく見つけることができたが、その時、どうしてあんなにもかたくなに断り続けるのかが理解できず、ショックを受けた。 一方、日本で生まれ育った理由について大学の友人に質問されても、初歩的で表面的な答えしか返せなかった。 これまでは国籍、自分のルーツについて真剣に考えたことはなかったが、大学生活を送る過程で、朝鮮人であるにもかかわらず、朝鮮人としての自分自身について何も知らないことに気づくことができた。大学1年の冬のことだ。そんな時、留学同のメンバーから電話で誘われ、同じ国籍を持つ同年代の人と話し合いたいという想いから留学同活動に参加するようになった。 活動内容は主に、ウリマルと朝鮮史、日本史、世界史などの学習であった。とくに朝鮮半島を取り巻く情勢や、同じ植民地支配を受けた国の歴史について学べることは、朝鮮に対する知識や関心を高めるうえでためになった。視野を広げることができたのもよかった。 また、民俗遊びや民族衣装についても学ぶことができ、参加するたびに新しい知識を得ることができた。 留学同活動に参加する以前は、朝鮮人として生きるかどうかというかっ藤の毎日だったが、留学同活動に参加してからは、朝鮮人として生きる喜びを少しずつ感じるようになった。 そして、今年の夏、ある決心をした。 第20回留学同祖国訪問団の一員として朝鮮を訪れることにしたのだ。朝鮮人なら朝鮮語を学び、そして朝鮮語で会話をしたいという思いからだった。 自分の母国でありながら一度も足を踏み入れたことがなかった祖国。当初は日本のマスコミが伝える情報に影響されて、不信感を抱かずにはいられず、余計な心配ばかりが頭をかけめぐった。 しかし、実際の祖国は貧しくて、暗く、恐ろしい国ではなく、一途で、まっすぐで、とても誇り高い国だった。人々はとても純粋で、自分の国を心から愛していた。日本と比べて生活水準は劣るかもしれないが、それ以上に精神的に豊かで、自分の民族に誇りを抱いていた。 そんなことを思わせた朝鮮の人々は一様に、朝鮮語を満足に話せない私に朝鮮語を習得するよう、何度も語りかけてきた。同じ民族の血を受け継ぐ私が、言葉の壁にさえぎられ同族との意思疎通ができないことはとてももどかしく、悲しいことだった。 民族とは、まず第一に血統、そして言語、風習から成り立つが、血統と言語はどちらも欠けてはいけないものだと思う。それを知る機会を与えてくれたのが祖国訪問だった。 祖国訪問前はあまり必要性を感じなかったウリマルだが、今は自ら進んで勉強するようになった。 自分を知るにはまず、母国語を学ばなければ。日本に住む私にとって、常にウリナラ=朝鮮を身近に感じることは難しいが、ウリマルを学ぶことで少しでもウリナラに近づくことができるだろう。 私にとって祖国の人々との出会いは、母国とウリマルを知ってこそ、自分自身のルーツ、そして自分自身をも知ることができることを思い知らせるものだった。 埋もれていた民族心/大学入学を機に本名宣言 濁協大学法学部2年 李全美 私は昨年、大学に入学したのを機に、本名を名乗ることにした。(「2001年マダン」に参加した留学同埼玉のメンバーとともに撮った写真。下段右から2番目が李全美さん) それ以前の小中高時代は通名を使い、親せき以外との同胞に会ったこともなかった。そんな私が本名を名乗るようになったきっかけは、親から民族について聞かされていたからだと思う。だからか、「朝鮮人なら本名を名乗るべきでは」との気持ちはどこかにあった。 大学に進学する前は、朝鮮人であるにもかかわらず言葉や歴史など民族について詳しくは何も知らず、日本人のように生きている、2つの顔を持った自分とのかっ藤があった。 自分が朝鮮人であるということで悩み、できるだけそれを隠そうとしたのは一度や二度ではない。そんな私が大学入学を機に本名を名乗ることを決めたのは、とくに何があったというわけではなく、ただ、自分なりにこのままではいけないと思ったからだ。 そして大学に入学。「朝鮮人として生きる」という目標を掲げたものの、本名を名乗るだけでは朝鮮人である自分を日本の友人たちにアピールすることはできなかった。そのため、充実した大学生活を送ることもできなかった。落ち込むばかりの日々が続いた。 そんな私にあたたかい手を差し延べてくれたのが留学同だった。本名を名乗っていたから出会うことができたトンムたちだ。 初めて会ったトンムであるにもかかわらず、それまで私の心にあった壁を取り払ってくれるような感じがした。同年代のそのトンムたちは、強い民族心を持っていた。私は彼らと触れ合う過程で、心の片すみに埋もれていた民族の心が目覚めていくのを感じた。 通名を使っていた時の親友に事実を打ち明け今は朝鮮人として生きていることを話した時は、今まで親友をだましていたような気持ちになったものだ。 少なくとも、私と接する日本人は、私を通じて在日朝鮮人をかいま見ることになるだろう。自分の存在を主張することはこんなにも意味のあることなのだと気づいた。 今では、チャンゴのリズムが鳴り出すと見よう見真似の下手なオッケチュムをなりふりかまわず踊り出し、「統一列車」が大好きな朝鮮人になった。 これからは、自分がそうだったように自分の中に埋もれている民族を捜し出せずにいる同じ処遇の一人でも多くのトンムたちと出会い、自分の気持ちをぶつけていくつもりだ。 |