南で高まる 民族の同質性回復の動き
和解と統一への熱望を民族文学の立場から
ウリマルの共通化£ヌ求
「…冷戦意識が溶け始めようとしている時代の変化を感じ取った創作が南北の双方で静かに営まれ始めている。分断によって生じた異質の壁を崩し、民族の同質性を回復することに焦点を合わした 統一文学
の一歩が踏み出されようとしている」。離散を余儀なくされたある家族をモデルにし、統一の切迫感を描いた短編小説「離散タリョン、親族タリョン」の作者・李浩哲氏はこう指摘する。事実、6.15共同宣言後、南の文学者の間で和解と統一への熱望を、民族文学の立場から形象化しようという動きが徐々に表面化している。 離散テーマの作品を評価 北のリム・ジョンサン氏の短編小説「セェチルレギ」は、南に渡った鳥類学者が鳥を通じて北にいる家族と交信するという、実話を素材にした作品だ。南では、離散の痛みを味わってきた家族の歴史をリアルに描いた作品として評価が高く、今でも読まれているという。 また、金ミョンイク氏の「臨津江」、チュ・ユフン氏の「オモニが来ます」などの小説も家族離散をテーマにしたもので、「これらの作品には、肉親に対する限りない愛情が脈打っており、イデオロギーでは通じない本質的で絶対的なものがある」と評されている(週刊誌「ニュースメイカー」2000年6月22日号)。 文芸評論家の洪ヨンフィ氏は季刊誌「21世紀文学」(2000年秋号)の中で、九〇年代末からの北の詩の傾向を解説しながら、「統一の熱望を込めた詩編には南の人々に情緒的な感応力と親和性を呼び起こすものがあり、統一文学の1つの可能性を見せてくれる」と指摘した。 洪氏も監修に加わって刊行された統一文学作品集「その日が来れば」には、南北の作品二十編が収められているが、「境界線の横に渡ったところで」「分裂の苦痛をあなたも受けるのか」「いつ主人を再び呼び寄せるのか」など、北の統一詩編は外勢によって引かれた軍事境界線の悲劇像を余すところなく示している。 文学交流の拡充を提示 分断文学が戦争の悲劇像とイデオロギーに対する批判が中心であったとするなら、統一文学は半世紀にわたって生じた異質性の壁を崩し、民族の同質性を回復するものになる、との指摘は多い。 広く読まれている黄皙暎氏の「韓氏年代記」、李浩哲氏の「南のひと北のひと」、趙廷来氏の「太白山脈」、玄基栄氏の「トリョン峠の鳥」などは分断文学の脈絡に位置するものであろう。 しかし、朝鮮戦争を体験した黄氏らの世代に比べて、近年、分断の悲劇や離散の痛みを描いた純度の高い作品が出ていない、という指摘が評論家の間にある。文壇の中心を占めるようになった戦争未体験の若い世代が 分断の傷痕(しょうこん) を古臭いものと思っているのではないだろうかと見る人もいる。 だが、昨年の6.15北南共同宣言以後、南の文学界では、「統一文学はこの時代の民族文学の核心課題である。そのためには異質性を克服することが大事であり、なによりそれぞれの原型を尊重、検証する作業を行っていくべきだ」という声が出始めた。 雑誌「文芸中央」や「21世紀文学」が 統一文学 という特集を組み注目を浴びた。また、「実践文学」(夏号)は「南北がともに読むウリ文学」という題で特集を組み、洪命憙(1888〜1968年)、廉想渉氏(1897〜1963年)らの作品を検証しながら、統一志向的な視点で南北文学交流と「文学遺産」の拡充を提起している。 分断後初めて、南北間の文学作品を総括する統一文学大全集(全百巻予定)の企画委員の1人である金ジェヨン氏は、「北の文学的成果を文学史の一部として認定する作業は歴史的なことである」と指摘する。 また昨年、離散家族交換訪問の際、肉親や親族に会った人々は互いに言葉の異質を感じたというが、このことと関連して、「民族文学の発展のためウリマルの共通化を図っていかなければならない」との高銀氏(詩人)の提起は、今後の共通の課題だろう。(金英哲記者) |