朝・日国交正常化と在日同胞法的地位
優待されるべき地位
植民地支配の犠牲者、日本政府に責任
民族教育の公的補助、退去共生廃止など
林範夫(弁護士)
国籍表示で差別 解放後、本来であれば、在日同胞は、解放民族としての待遇を受けるべきであった。また、日本政府は、日本の植民地政策による被害者である在日同胞に対し、その被害回復に努めるべきであった。 在日同胞が日本に移住した原因は日本政府にあった。とするなら、日本国政府は、解放後、在日同胞に対して、強固な在留資格、すなわちもっとも安心できる法的資格である永住権を付与すべきであった。 日本政府は1965年「大韓民国」(以下、韓国という)とだけ国交を回復し、いわゆる「韓日法的地位協定」を締結する。これによって、「韓国籍」を有し、その他の要件を満たす者に対しては、「協定永住権」が与えられて永住が認められた。こうして、「韓国籍」の在日同胞の在留資格は格段に安定することとなったが、他方で外国人登録上の記載が「韓国」となっているか「朝鮮」となっているかによって、歴史的背景を同じくする在日同胞であるにもかかわらず、在留資格に格差がもたらされることになった。 82年の難民条約発効に伴って、これまでの出入国管理法が出入国管理及び難民認定法に改正され、このとき協定永住権を有しない在日同胞に対して「特例永住権」が与えられることになった。これにより、法律第126号該当者(45年9月2日以前から日本に居住する者と、その子弟で52年4月28日まで生まれた者)、特定在留者、特別在留者などが、永住権を取得したが、協定永住権とは異なり、退去強制事由は従来のままであった。 だが、「韓日」法的地位協定によっても協定永住権を取得できないものが現れる時期となり、1991年の「韓日」覚書に基づき、入管特例法が制定された。この法律により、在日同胞の在留資格は統一され、全体として一応は安定した在留資格を与えられたことになった。だが、退去強制事由は相変わらず残されており、退去強制となった時は生活の本拠を失ってその生存が脅かされる点は変わっていない。 また、再入国許可は原則として4年、1年の延長により最長5年が認められるようになったものの、国際化により海外での勤務・留学が活発化している中で、5年に1度は日本に戻らなければならないというのは、やはり海外渡航の自由が不合理に制限されていると言わざるを得ない。 朝・日国交正常化の際には、在日同胞に対する退去強制事由、再入国許可の適用をなくすことが実現されるべきであろう。 指紋押捺は外国人(施行された47年には90%以上が在日同胞)を犯罪者扱いするものとしてプライバシーや名誉の点から反対されてきた。87年に指紋押捺は1回限りとされ、93年には永住者について廃止され、ついに99年には全ての外国人について廃止された。 だが、常時携帯義務及び提示義務はいまだに残されたままである。常時携帯義務違反と提示義務違反については刑事罰が課され、これが単なる行政上の問題でなく、警察による捜査を可能とする取締目的で利用されてきた。常時携帯義務違反については99年に刑事罰から行政罰に改められたが、提示義務違反については刑事罰のままである。 82年の難民条約発効に伴い、長年にわたって日本で生活を営み定住する在日同胞にも社会保障を認めないというわけにはいかなくなったのである。 社会の一員として長らく働き納税も行う者である以上、社会保障を受けるべきは当然のことであり、前述のように在日同胞が日本の植民地政策の結果として生み出され、日本人以上に社会的・経済的に苦しい生活を余儀なくされたものである以上、その被害回復としては社会保障だけでは足りないというべきである。 承知のとおり、日本社会には在日同胞に対する根強い差別・偏見が残っており、そのような社会に取り囲まれて、いかにして民族性を育成、保持してゆくかを考えたとき、民族学校の充実は必須と思われる。それゆえ、民族学校に対しては、その自主性を尊重しながらも、公的な財政援助等の施策が必要不可欠だと言える。 現在、在日同胞が差別・偏見に取り巻かれているその最大の原因は、日本政府の植民地政策と解放後も変わらない同化政策のためである。とすれば、原因を作った日本政府に原因を取り除き、在日同胞を本来あるべき姿に戻す義務があるのは当然である。そのための物心両面の援助を日本政府は惜しむべきではない。 最後に、朝・日国交正常化では、戦後補償についてしっかりと解決されることを期待している。(リム・ボンブ、在日本朝鮮人人権協会員) |