それぞれの四季

浮き草の旅

李相美


 名古屋駅西の小さな映画館で働いてはや5年という歳月が流れた。放浪癖のある私にしては長いと、自他ともに認めている。朝鮮高級学校の時に、なぜ自分が在日朝鮮人に生まれ、どこへ行こうとしているのか全くわからず苦しんだ時期があった。勉強などそっちのけでそればかり考えた末、在日とは浮き草のようなものだと思いついた。あいまいなまま、 国 に根をおろそうともがきながら、北へ行ったり、南へ行ったり。

  浮き草としての自分を受け入れた時(ずいぶんと時間がかかった)、世界が拡がった。目の前は大海原だ。気づいたら、淡水でしか生きられないと思っていた純粋培養の私は、複雑で奇妙で、神秘的な海へと身を乗り出していた。海水でわが身が朽ちてもそれでいい。何があるのか確かめたかった。

 こうして日本の社会へ出て10年がたとうとしている。私はこの映画館で、その半分近くを過ごしたわけだ。本名で仕事することの若干の気負いと爽快感。在日が抱えるゆがみとそれに対する愛情。様々な人間模様。いつしか私の中の 国 はどこかの木にひっかかったまま忘れ去られ、「人間」としていかに生きるかが最大の問題になってきた。在日として生きるよりも人間としてである。それを受け入れた時、再び淡水へ流れてみようかと思った。たくさんのお土産を持って。

  その一部をここに書こうと思う。大切なお土産をひとつずつ渡した後で、どこかの木にひっかかったままの 国 を探してみようか。すぐに見つかるか、死ぬ間際に見つかるかはわからない。絶え間なく浮き沈みながら浮き草の旅は続く。(シネマスコーレスタッフ)

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