親善のメッセージ
夢でない日朝合作映画 山田洋次(映画監督) おめでとうございます。昨年、「平壌国際映画祭」に招待され、「15才―学校W―」や「男はつらいよ」シリーズなどの6作品を特別上映して頂きました。平壌の観客と共に映画を楽しんだり、市内の学校を訪れて子供たちと話す機会に恵まれました。 平壌の映画人と語り合って、とても驚いたことがあります。それは、ここ数年来の大水害による食糧難の苦しさについてです。平壌の町を焦土と化した、あの朝鮮戦争の時よりももっと辛い思いをした、それはまさに「苦難の行軍の時代」だったそうです。 新聞報道である程度の知識はあったものの、隣国の人たちのそのような苦しさを知らずにいたということを、ぼくは恥ずかしく思いました。今は状況が改善され、また、南北首脳会談も実現し、統一に向けて市民の表情は明るいように思えました。 映画は世界の共通の言語です。今後の日朝文化交流の中で、(共和国との)合作映画を作ることも夢ではないでしょう。技術的な援助も含めて、今まで築いてきた遺産をお伝えできればと思います。在日朝鮮人のみなさんから「寅さん」はいつも温かく見守られてきましたが、これからもみなさんに愛される映画を作り続けていきたいと思います。 20世紀は実に辛い、いやな時代だった。物質文明は進歩したけれども、精神文明はむしろ退歩したかの感があった。苦しみばかりが続いた中に、大きく、明るく幸福なひらめきがいくつかあった。 まずその1つは、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の指導者の手が、がっしりと握り合わされたあの瞬間だった。もう1つ、かつて眠れる獅子と言われた中国が永い間の混乱から目覚めて、新中国が誕生したその瞬間である。 この2つをもって、僕は20世紀中にアジア人が成し遂げた2大快挙だと思っている。 金正日総書記と金大中大統領が平壌空港で初の握手を交わす映像をテレビで見た時、僕の胸からは永年の心痛が消え、感動の涙があふれ続けた。 朝鮮半島は、20世紀初頭の日本への不幸な強制併合、日本敗戦の後、1948年には南・北分断国家の出現、1950年から53年までの朝鮮戦争。まさに共和国は苦難の連続の中に自立の道を進んだ。 いまや共和国は、輝かしい世界の朝鮮民主主義人民共和国として、過去の辛苦に決別し、明るく新しい世紀を迎えた。 共和国の皆さん、新しい世紀、新しい未来、おめでとうございます。 |