NGOピースボート
朝鮮反核平和委との交流会

日本人全体が語るべき

戦争責任、反核、国交正常化


一変したイメージ 正常化のうねりを

 日本のNGOピースボートのメンバー80人が、9月5日から9月13日まで訪朝した。第1陣(8月23〜27日)の200人に続くものだ。チャーターしていた船がエンジントラブルを起こし、1、2陣とも、万景峰号での渡航となった。同船には、朝鮮大学校生や在日同胞も乗り合わせており、初めて在日同胞と接する人もいた。平壌では数々の交流が行われ、有意義な訪問となった。

同じNGOの立場として

 今回のピースボートと朝鮮反核平和委員会などとの交流会は、「日本と朝鮮という国家の関係ではなく、同じNGOの立場で、プログラムを実現させようという思いから、朝鮮側関係者も総聯側関係者も尽力してくれて実現できた」と話すのは、1、2陣を通して随行したピースボート・パートナーの櫛渕万理さん(32)。大型代表団訪朝を実現させるため、一年近くも朝鮮反核平和委員会と連絡を取り合いながら準備を重ねてきた。

 出発1週間前の8月中旬、チャーターしていた船のエンジントラブルで、中止に追い込まれそうになったが、結果的にその逆境が、「実現させたい」というNGO同士のホットラインを強くし、550人の予定は、半分の280人となったが、万景峰号で2陣に分けての訪朝が実現した。

 一行には、スイス、ボスニア、ドイツ、アメリカ、ノルウェー、イギリスからも参加。交流プログラムの「戦争責任を考える」「東北アジアの非核化を考える」「日朝国交正常化を考える」などを通してそれぞれ意見交換をした。

 ピースボートが訪朝している時期、日本では朝・日国交正常化交渉の第10回会談が行われ、また、南北共同宣言に基づく、非転向長期囚の平壌帰還が実現するなど、歴史は大きく動いていた。

 鄭崙会・対外文化連絡協会日本局長は交流プログラムの討論会で、朝・日国交正常化について「国交正常化のための一連の会談を見ると、日本は関係を改善するつもりなのかどうか疑問に思わざるを得ない」と述べたという。

 なぜなら、過去の戦争責任を清算することが朝・日の国交正常化の第1歩になるからだ。

 「ら致問題などの質問が飛び出し、緊張する場面もあったけど、日本人は朝鮮側が逆に日本をどう見ているのかについて直接、聞くことができたので、討論会は意義深かった」と、櫛渕さんは話す。

責任果たすのは日本のため

 「戦争と女性への暴力」日本ネットワークジャパンなどが、12月に東京で開く「女性国際戦犯法廷」に参加する予定の、朝鮮在住の元慰安婦のハルモニ朴永心さん(78)と、長崎で被爆した朴文淑さん(57)らが交流会に参加し、自らの体験を語った。

 日本から広島で被爆した天野文子さん(69)も参加者の1人として発言。これまで平和運動やボランティアをする過程で、多くの被爆体験を語ってきたが、「朝鮮の被害者と同じ場所で話すのは、とても精神的にきつかった」という。天野さんが一番印象に残ったのは、朝鮮の被害者から「日本政府は何度言っても変わらない」「戦争責任を果たすことは、日本のためだ」という言葉だった。

 天野さんは、強制連行された朝鮮人の強制労働の現場を目撃したことがあるという。「被爆や戦争体験は広島、長崎の人だけのものではない。日本人全体が語らなければならない問題。こういう話を日本の国会で聞きたい」と、語った。

 また、かつてB29の操縦士として朝鮮戦争に参加した経験を持ち、初めて訪朝した米国のチャールズ・オーバビィ・米オハイオ大学名誉教授(79、日本国憲法9条の会)は、「かつての朝鮮戦争加担者として、朝鮮人民に過去の罪を謝罪したかった。私の反戦意識は、朝鮮戦争に対する矛盾から出発した。良民虐殺にも加わった私を、朝鮮人民は温かく迎えてくれた」と話していた。

 国交がなく、「近くて遠い国」の日本から、多くの市民を訪朝させたが、「訪朝後のアンケート結果では、日本で伝えられている朝鮮という国のイメージを一変させられたという人が圧倒的だった。それが、今回のNGO交流の答えだと思う」(櫛渕さん)。

 民間の次元で、日朝の正常な関係へのうねりを作っていくことの大切さを実感したという。(金美嶺記者)

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