春・夏・秋・冬

 成田からソウルまで、わずか2時間半で行ける。大阪からなら1時間50分だ。この新聞が読者の手元に届く頃、アクシデントがなければ筆者は、そのソウルにいるはずだ。第1次「総聯同胞故郷訪問団」の取材陣の1人として

▼在日同胞の場合、南北の離散家族とは違って「決心」さえすれば、故郷にいつでも行けた。75年から民団主導で行っている「母国訪問団」もそうだが、最近では個人での故郷訪問も南朝鮮当局は認めている。別に「朝鮮籍」を「韓国籍」に変えることを強要されることもない

▼なのに、総聯の同胞は、どうして故郷に行かなかったのか。一言で言うと、「愛国の志と操を守ってきた」からだが、そこに至るまでの経緯は、なかなか一言どころか、1冊の本でも書き尽くせない

▼P氏は幼い頃、大人たちが「金日成将軍のお使いが来た」と話していたことを覚えている。それが原体験となって、朝鮮民主主義人民共和国を支持するようになった。その気持ちは、現在もいささかの揺るぎもない

▼75歳のN氏は、ついにオモニの臨終に立ち会えなかった。でもN氏のオモニは、日本に来たときに孫たちがウリマルであいさつするのを見て、どうして息子が故郷へ帰って来られないのか、すべて理解した。それは百五歳になるR氏のオモニも同じだ

▼「統一したその暁には、胸を張って、堂々と帰ると言い続けてきた。やっとその日が来た」――。第1次訪問団メンバーは、異口同音にこう語る。わずか2時間の道のりを、55年間もかけたのである。(元)

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