「関係改善の虹をかけたい」
在朝日本人女性故郷訪問団第3陣
喜び、無念…思いさまざま
在朝日本人女性故郷訪問団第3陣が、6泊7日の日程を終え、18日、帰途についた。40年ぶりに肉親や知人と対面し、わだかまりを解いた人、兄弟の誰一人とも会えず、無念にも故郷を後にした人…。訪問した16人の思いは様々だったが、願いはひとつ、朝・日国交が樹立され、真の友好を築いて欲しいということだった。「数十年前に涙を流して離れた日本を、今日は嬉しい気持ちで発ちます。両国の間に関係改善の虹をかけるため、今後もがんばっていきたい」。17日の歓送会で謝意を述べた宋恵蘭さん(堀越恵美、65)は、女性たちの気持ちを熱く代弁していた。(本社取材班)
元気に暮らしています 金鮮姫さん(若山シヅ子)は、父の墓参りをするため、35年ぶりに生まれ育った福島県大沼郡金山町を訪れた。 15日、郡山駅に到着するや、幼い頃に世話になったおばの黒田栄子さん(74)が駆け寄ってきた。 「しーちゃん!」、「栄子姉さん!」 金さんは到着したその足で、叔父といとこたちとともに父の墓参りに。花と朝鮮から持ってきた酒を供え、額を地面につけながら、「長い間、お墓参りもできず、すみませんでした。このように元気に暮らしています」。 金さんが夫とともに朝鮮に渡ったのは1965年。しかし、その数年後に夫は肺癌で亡くなる。2人の息子を育てるのに大きな苦労はなかったと語る金さんだが、肉親のいない異国の地だけに他人に言えない辛い経験も重ねた。 17日には神奈川・横須賀にある母の墓を訪れた。 福島で墓参りを終えた金さんは記者会見で、「夢にまで見た故郷に来れて本当に嬉しい」と日本と朝鮮の両赤十字社に謝意を表した。 故郷に亡き夫の面影 慎尚玉さん(村上尚子)は、40年ぶりに訪れた故郷の地で、20数年前に他界した夫・慎重亮さんの面影をかみしめていた。 重亮さんは植民地時代、医学を志して渡日。解放後、東北大学の助教授になった重亮さんは、細胞学では日本の学会で3本の指に入ると言われるほどの研究者だった。しかし、日本社会を覆っていた根強い差別に悩まされる。 60年、祖国で医師を育成しようと決意し帰国。尚玉さんは夫の夢が実現されるならば、と四歳になる息子とともに海を渡った。 面会日2日目の14日、尚玉さんを囲んだのは、若い頃、重亮さんが世話をした東北大の同胞学生たちだった。 「アボジは慎博士がいらっしゃらなければ、大学を卒業できなかったと言っていました。ここにアボジがいたらどんなによかったか」 尚玉さんを前に金景美さん(35、埼玉県在住)は声を詰まらせた。昨年病死した景美さんのアボジ・圭弘さんは、家が貧しく、勉学を断念せざるをえなかったが、地元同胞による奨学会に救われた。奨学会の初代会長だった重亮さんは、圭弘さんに目をかけ、奨学金を上乗せしてくれた。 重亮さんは、面倒見のいい人だった。給料が入ると決まって後輩たちを飲みに誘った。 「最後は先生の家に転がりこみ、騒ぐのが恒例。学業のこと、将来のこと…。尚玉さんが出してくれたぬか漬けの味が忘れられない」(当時、学生だった朝鮮大学校の申在均副学長) 「近所にいた○○ちゃん目当てによくいらしてましたね」。尚玉さんが秘話を「暴露」するや爆笑の渦が沸いた。重亮さんの面倒見の良さの影には、常に尚玉さんの心遣いがあった。 夫とともに愛情を注いだ後輩たちが、同胞社会や日本社会で活躍している。40年ぶりの再会に尚玉さんは何度も嬉し涙を拭っていた。 兄妹と夢の再会 12日、40年ぶりに故郷の地を踏んだ金静枝さん(藤崎静枝)は、不安にさいなまれていた。日本にいる五人の兄妹から面会を拒否されていたからだ。 兄妹たちが面会を拒絶したのは、「北朝鮮に行った兄弟がいると知られたら、困る」ということだった。 「40年間、待ちつづけたのに…。私が何のために生きてきたのかわからなくなりました。朝鮮に嫁いだことがそんなに罪になるのでしょうか」 静枝さんは60年に朝鮮に渡り、金策製鉄所の技術者として30年のキャリアを積んだ。「幼い頃、家が貧しく、学校にも行けなかったので、字も書けませんでした。しかし、朝鮮では私を勤労者学校に送ってくれ、そこで読み書きを学ぶことができたのです」。 「兄妹が私と会わない気持ちも、わからなくはない。私1人が我慢すればいいのです。しかし、せめて兄妹に朝鮮で幸せに暮らしていることを報告したい。正常でない政府間の関係が、私たちのような犠牲者を生み出していることを日本政府に分かって欲しい」 静枝さんの気持ちが伝わったのか、14日、宿泊先にこっそりと妹が訪れた。妹は告げた。「16日、父母の墓の前で兄妹みんなで待っています。必ず会いましょう」。 静枝さんは、最後になって夢にまで見た兄妹との再会を果たすことができたのだ。(李文喜記者) ◇ ◇ 取材を終えて 今回の訪問団には、朝鮮人との結婚や渡朝を反対された経緯から、数十年のわだかまりをときたい、との願いを胸に故郷の地を踏んだ女性が多かった。伸和淑さん(及川和子)もその1人。兄弟との対面を果たした伸さんは、「誤解もとけ、昔の様に打ち解け合えた。心残りなく帰国できる」と喜びひとしおだった。 だが、最後まで親族から拒絶され、深い傷を負った女性もいた。 1、2次と比べ、マスコミの取材は沈静化したが、女性たちの警戒心は相当なもので、紙名をあげ、公正な報道を求める人もいた。 取材に訪れた記者を紹介された瞬間、顔色を変え、身を隠す女性もいた。朝鮮に嫁いだことを知られたくない親族に配慮しての、とっさの行動だった。 過去の植民地支配を清算していない日本側の不当な対応によって、朝・日は、半世紀以上国交のない、「いびつな関係」にある。その関係を一身に背負う女性たちの姿は本当に痛々しかった。 朝鮮には現在、故郷訪問を希望している日本人女性が数百人(リ・ホリム訪問団団長)いるという。次回の具体的な日程は決まっていないが、朝・日の両赤十字は、早期に事業を継続する意思を確認している。 より多くの女性たちが安心して行き来できるようになるには、事業自体をバックアップする朝・日関係正常化の努力が欠かせない。 17日、日本の記者たちを前にリ団長は、「両国の関係が悪化すると、訪問希望者も減る。訪問に有利な環境が整うよう、努力して欲しい」と切に訴えていた。(本社取材班) |