文学散策

「生きている墓」 キム・ハギ


 碁石や小石でかべを打ってモールス信号をおくり意思を伝える打電は特舎の独創的な連絡方法であり、言語媒体でもあった。人間と人間のあいだを分断の障壁のようにふさいでいるぶ厚いかべを逆手にとって対話する手段として利用するという点では、打電はマイナス条件をプラスに生かした高度な弁証法的方法であった。打電の音はセメントのかべと石がぶつかって出る単調で乾燥した文節音ではあったが、かれらにとってはたがいに死なずに生きていることをしめす心臓の鼓動の音に聞こえたし、鈍重な打電音から熱い同志愛のこもったすべての喜怒哀楽の感情をおしはかることができたのである。(「完全なる再会」影書房から)

非転向長期囚の生きざまを抽出した名作


 生きる意味、生と死、人間らしさ――この小説がもたらしてくれる深い衝撃と感動、良心と時代を結びつける豊かな思索は、作家の後記として日本語訳者の解説を読むにつれ何十倍にも膨れ上がる。題材と作者と訳者、この3者が1つの巨大な鉄塊となり読む者の頭と胸を激しく打ち揺さぶるのである。

 「分断と植民地時代に生きる私たちにとって、監獄と外の世界の区別は大きな意味がない」と語るキム・ハギは、1958年慶尚南道で生まれ、大学生だった80年の光州蜂起による戒厳令の拡大反対デモで逮捕、軍に強制徴兵された後、再拘束され(この時、軍の射殺許可まで下りていた)、8年の獄中生活を送った「実践作家」である。そして彼が、82年に矯導所特別舎棟で出会った人物たちこそが、この小説の主人公・非転向長期囚であり、85年に矯導所で知り合った「国家保安法」違反により死刑宣告(後に無期刑)を受けていた日本からの留学生が李哲氏(日本語訳者)なのである。

 筆者のいう衝撃とは、作品自体は無論のこと、このような経歴の南の作家の小説を、このような生を生きてきた在日同胞が翻訳したという「歴史性」にまず根ざしているのだ。

 小説は矯導所特舎の閉鎖独房(0・75坪)という「特殊な場所」を舞台に、非転向長期囚という「特殊な人間」を描いており、ややもすれば「普通の人は知り得ない特殊な物語」が1人歩きする危険性を帯びているのだが、この外郭の特殊性をテーマの普遍性と融合させることに見事に成功している。その普遍のテーマこそ、非転向長期囚たちの生きざまであり、それは「誰も分かってくれない犬死に」と絶えず対峙し続ける彼らの非転向理由=生存理由に集約される。想像を絶する拷問の末、屍(しかばね)の指紋を押捺させられ転向したものとして処理される状況下で、「肉体的生命が政治的生命の担保になる」と語り合う彼らの胸の奥底には何があるのか。

 7・4南北共同声明を踏みにじった朴「政権」の10月維新から連なる73年の殺人テロ転向工作事件当時、拷問担当の凶悪犯を前にして「一体私たちをどれほどつまらない人間と見ているのか」という思いから「恐ろしいというよりむしろ物悲しい気分になった」崔海鐘氏の言葉―「その暴力と暴圧の大きさの分だけ彼らの論理は敗北している。我々は生きるために食べるのでも、食べるために生きるのでもない。きびしい現実と闘い、ついには勝利するためである。獣のように、虫けらのようにでも生き残ろう」。三十年ぶりに会った妻に語る許竜哲氏の言葉―「(転向すれば)生きた屍になるしかない。そんな体ではあなたに会うこともできない。あなたと子供たちを本当に愛しているからこそ転向できない」。

 キム・ハギは主人公たちを、超人間的な意志の持ち主ではあるが、決して超人ではない生身の人間として限りない愛情と尊敬を持って抽出している。少年時代の淡い初恋の追憶との対面に「一瞬心が波打つのを感じ」、新しい人生の出発を想った崔海鐘氏が「むしろ殴打のほうがまだしも耐えやすい」と考える場面など、硬質の叙情に裏打ちされた秀逸である。

 彼は指摘する。「いま私たちは抗日戦士たちが血を流して開いた光復の道を行軍して、統一の道までかきわけて生き続けなければならない」。

 こんにちの民主化運動と、「アカ」がスパイ罪をかぶされた統一運動、さらに日帝からの武装独立運動が、ともに根を同じくする変革運動であるという認識(訳者の言葉)――これこそ歴史的な文学上の発見であるばかりでなく、作家の新たなる生の発見にほかならない。

 生きている墓。墓とは民族の死であり分断である。その中で「一点の恥ずべきこともなく」生きてきた人たち。その「墓」が、今ようやく取り壊されようとしている。民族がついに「生きられる」時が来るのだ。しかし、民族のすべてが均等の「生」を「生きられる」わけではないことをわれわれは、肝に銘じるべきであろう。(金正浩、朝鮮大学校教員)

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