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朝鮮半島なんでも初めて
祭礼と宴礼の二つの舞
華麗な朝鮮舞踊。この欄で以前、権力者への痛烈な風刺を込めた民衆の仮面踊り(タルチュム)など民俗舞踊について紹介したことがある。今回は、宮中舞踊を取り上げる。 50種類以上、文献にも収録 宮中舞踊には50種類以上あり、高麗から李朝時代にかけて完成した。大きくは祭礼のための舞(イルム)と宴礼のための呈才(チョンジェ)に分かれる。 イルム舞は12世紀、睿宗王の時代に生まれた。定期的な国家レベルの祈祷やソウルの成均館の春秋の祭の時に行われたという。 祭礼の主宰者の身分によって踊りを舞う人数が異なる。身分の高い順に8、6、4、2の偶数の舞いになる。 例えば天子の場合は八イルムで、8行8列に並んで64人が舞う。ついで王の場合は6行6列の36人の六イルム。大夫(役所の幹部)は四イルム16人という具合になる。これは制度化されている。 またイルムには、文舞と武舞の区別があり、15世紀頃から朝鮮半島独自の色彩が濃厚な舞踊へと確立されていった。 宴礼舞の呈才も、唐楽と郷楽の2つに分かれる。それぞれ、伴奏音楽、衣装、踊りの動きなどがまったく異なる舞楽である。 唐楽はその字からわかるように、中国の影響が濃い。宋時代に入ってきたもので唱詞などは漢文である。逆に郷楽には固有の朝鮮語が使われる。 李朝末期になると、双方の区別がはっきりしない舞楽が多くなり、七割近くが郷楽になった。 宮中舞踊は20世紀に入り、日本の植民地支配などによって1時は、3分の1程度にまで減少した。 しかし、1493年に編さんされた朝鮮半島の舞踊関係のすべてを収めた百科全書ともいえる「楽学軌範」や「進宴儀軌」(1744年)などの記録を基に復興されていった。 「楽学軌範」には「音楽構成理論」「楽譜文字」「楽器編成」、さらに「衣装」「小道具」、30余種の踊りも紹介、収録されている。 |