春・夏・秋・冬

 旧暦の8月15日を秋夕(チュソク)と呼び、朝鮮人にとって大きな意味を持つと知ったのは、社会に出てからだ。物心ついた頃、ご馳走をいっぱい並べた、ロウソクを立てたお膳(祭床)の前で、アボジが厳粛な態度でお辞儀していた。朝早く起こされて、いくらぐずっても、お膳の前では普段の甘えがきかない「特別な日」だった

▼秋夕の行事としては、祭祀(チェサ)と省墓(ソンミョ)がある。物の本によると、祭祀を行うのは、先祖に対する感謝の気持ちを忘れないためで、墓参りは、「故郷の山河を体で知る習練の行路でもあり、初めて参与する幼子たちに先祖の生き様を説く歴史の授業でもある」そうな

▼今年の秋夕では高校生の孫(筆者にとっては甥にあたる)4人が、代わるがわりに執事者を受け持った。神位にお酒をつぎ(献酌)、スプーンをご飯の上に挿す(挿匙)の意味を知ってか知らずか、神妙な面もちで粛々と役目をこなしていた

▼祭祀の後、ハラボジは孫たちにさり気なく故郷の話をした。筆者も高校生になる頃、アボジに執事者を命じられ、先祖の話を聞いたことがある。話を早く切り上げて欲しいと、じりじりしながら聞く態度も、孫たちとまったく同じだった

▼一通りの儀式が終わった後、普段はテレビゲームに夢中になる孫たちが、チャンギ(将棋)に興じていた。ハッキョで習ったのかと訪ねると、ハラボジが指しているのを見て覚えたという

▼彼らが老いて、テレビゲームで余暇を過ごす姿は想像したくないが、しっかりと受け継ぐものは受け継いでいるのだ。(元)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事