在日の歴史、なんでもQ&A

民族教育はどのように始まったの?

帰国に向け国語講習所
46年から本格的に学校設立


1945年12月に開校した東京朝鮮第1初級学校(現在は初中級学校)


 Q 民族教育はどのように始まったのですか。

 A 祖国解放とともに帰国を急いだ同胞にとって深刻な問題がありました。それは植民地時代、皇国臣民化教育で日本語しか話すことができなくなっていた子供たちの存在でした。

 同胞たちは、子供たちに朝鮮語を覚えさせてから帰国したいと、朝鮮語教育を始めました。

 45年9月には神田の朝鮮YMCAの国語講習所、10月には戸塚ハングル学院などがすでに開始されています。

 講習所には民家の一室や倉庫、お寺などが利用されました。そして教室には手作りの黒板と机、椅子が置かれ、教材もそれらしきものを謄写印刷でなんとか補っていました。

 このように始まった国語講習所が、こんにち営まれている民族教育の出発点といえます。

 Q その後、民族教育はどのように整備されるのですか。

 A 46年に入り情勢の変化によって帰国の延期を余儀なくされた同胞は、民族教育を臨時的な講習所形式から本格的な学校教育へと整備していきます。

 当時、民族教育を指導していた朝聯は46年4月から国語講習所を3学年制の「初等学院」に改編し、同年9月には6年制の学校へと発展、また10月5日には東京朝鮮中学校を創立して中等教育を開始、48年10月5日、同校に高等部を併設し、中等教育体系を完成させます。

 46年2月には教材編さん委員会を設け、統一的な教材作りも行います。ちなみに49年までに出版した教材は132点、145万部に上ります。

 校舎も自力で建設しました。結婚指輪や、1着きりのオーバーを売って寄付する人、仕事を投げ打って校舎建設に加わる同胞によって建てられたのです。

 こうして民族教育は解放直後から48年4月までの間に、566校の初等学院、7校の中学校、教員数約1300人、学生数約6万人に発展しました。(金大遠、研究家)


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 今号から「在日の歴史なんでもQ&A」の連載を「解放後編」として再開します。

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