世界で活躍する在日コリアンピアニスト
ハン・カヤさんに聞く
ドイツを拠点に世界各国で活躍するピアニストのハン・カヤさん。9、11日、京都と東京で行われたポーランド生まれのバイオリニスト、ニコラス・チュマチェンコ氏とのデュオコンサートのために日本に戻ってきた。済州道出身の両親のもとで、日本で生まれ育った自称「在日2・5世」。ドイツに留学して後は欧米を中心に活動するハンさんにとって、音楽とは、演奏することとは、そして民族とは、インタビューした。(文聖姫記者)
[何を伝えたいのか] ――ハンさんのピアノは力強い。何かを訴えるように体全体で表現する。そこに、なぜ弾くのかという答えがあるようだ。 欧米では、日本で生まれ育ったといえば日本人だと思われる。もちろん、否定するわけだが、そういうことをくどくどと自分に問わざるを得ないのが、在日の現実ではないだろうか。日本人にも、朝鮮半島で生まれ育った母国の人々にも、そんな悩みは必要ない。自分が生まれた場所が自分の国だからだ。 だからこそ、在日には在日にしか出せない音があるはずだ。在日コリアンとしての人生はものすごい力になっている。ただ、私たちの世代はかつてのように、 恨(ハン) だけがエネルギーになるわけではない。祖父母や父母たちの 恨 という負のエネルギーを引きずり、受け継ぎながらも、それをプラスのエネルギーに変えていかなければならない。そういう思いを表現することが、体全体で弾くことにつながっている。 「禅の弓道」にこういう話がある。的に向かって弓を放つ際に、肉体の全神経を集中できた時にはもう弓を放つ必要はない。その時点ですでに的に届いているのも同然だからだ。音を出すのもそれに近いものがある。全神経を集中させて、自分の底にある思いを引き出して音を導き出す。その時、いかに自分が開いた状態でいられるかが大切になる。 もちろん、聴衆が私の音をどう感じるかはその人の自由。でも、私の底にあるエネルギーを出せたら、在日をひきずっている私の思いは必ず伝わると信じている。 [尹伊桑先生のこと] ――ハンさんはコンサートで、著名な作曲家であった故尹伊桑氏の曲をよく演奏する。「それは私には当然のこと」と語る韓さんにとって尹氏とはどんな存在か。 だが、残念なことに先生は体調が優れず南ドイツの療養所に入院していた。その療養所で、私の師匠であるピヒト氏と共に演奏会を開かないかという話になった。ピヒト氏は、先生が死刑囚として投獄されていた時、当時のシュミット西独首相らと共に釈放運動を行い、先生を監獄からドイツに生還させた方だ。 演奏会が決まった際、せっかくだから先生の曲を弾くという私に、「私の曲は病気の人にはむずかしすぎるから弾くのはよしなさい」と謙遜しておっしゃった。それが東洋人独特の美学だが、非常に懐かしかった。 音楽には2通りがあると思う。今まで誰も聴いたことのないざん新なものと、誰もが認める、例えば朝鮮の民謡のような、伝統的なものだ。本当にすごい人は、その2つの音を兼ね備えた人だ。尹先生の音楽には、自分の故郷、ウリナラの音楽に対する深い愛情の中に、「西洋音楽の技法」という新しさが加わっている。さらにそれを「独自の言葉」で表現している。 尹先生の音楽には民族の 恨 がこめられている。そこには、日本の植民地支配に対するものだけでなく、同族であるKCIA(韓国中央情報部)にら致され、えん罪で死刑判決を受け投獄されたことまで含まれている。 2度目に見舞に行った際、先生は吹雪が吹き荒れ、零下十数度にまで下がった天候の中、ベランダに出ておられた。当時、先生は呼吸器系を患っていた。が、寒くても、息が苦しくても負けてたまるかと意思表示するかのように、握り拳で立っていた。その後ろ姿が目に焼きついている。 握り拳に込められたエネルギーの固まりが、 恨 から来ていると思うと悲しくて仕方がなかった。できれば喜びに溢れたエネルギーであってほしい。 逆に、そのすべての 恨 をエネルギーとして吸収し、それを乗り越えた音楽だからこそ、人を動かすのだし、私自身共鳴できるのだと思う。 ――「私はつねに自分の国が統一されるべきだと思ってきたし、私は、その熱い願いを秘めて演奏会を続けて来ました」とハンさんは言う。彼女の統一への思いは。 もちろん、統一後は自分の意思で自由に会えるようになった。いろいろと意見はあるが、その事自体は喜ばしいと思った。だから、今回、南北の離散家族の再会を見ていて、誰が何と言っても、会えて良かったと感じた。 私は、必ず祖国は統一されるべきだとずっと思って演奏してきているから、南北首脳会談後、現在のようによい雰囲気が生まれたからといって、演奏自体に変化があるわけではない。 6、7年ほど前に、平壌とソウルの両方で演奏するチャンスがあったが、直前になって、政治的圧力によってとん挫した。その過程でとても嫌な思いをしたことがある。 しかし、今は状況も好転してきているので、依頼があればぜひ平壌とソウルで演奏したい。私のピアノの音が統一を心待ちにする人々に届くことを念じている。 その前に、1000万といわれる離散家族全員が1日も早く再会できることを願っている。 [プロフィール] 4歳より父の手ほどきでピアノを始める。桐朋学園大学、ドイツ国立フライブルグ音楽大学にて、井上直幸、三浦みどり、エディット・ピヒト=アクセンフェルト、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー等の各氏に師事。第49回日本音楽コンクールにて第2位、第25回海外派遣コンクールにて松下賞受賞、第44回ジュネーブ国際音楽コンクールにて1、2位なしの第3位、ヴィオッティ国際音楽コンクールにてディプロマ賞受賞など、数々の賞を受賞。バロックから現代に及ぶ、幅広いレパートリーに基づく音楽の深さは多くの人々の感動を呼び、日本全国、欧米各国にて、ソロリサイタル、室内楽、主要オーケストラとの共演等で活発な演奏を行い、絶賛を博している。演奏活動のかたわら、後進の指導にもあたり、現在、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会常任講師、カールスルーエ国立音楽大学教授。 |