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朝鮮半島なんでも初めて

 価格は米1斗と高嶺の花


国家が管理、独占

 洋の東西を問わず本の出版は、文字の発明と印刷技術の発展に伴って盛んになったことはいうまでもない。朝鮮半島では李朝時代、ハングル文字の完成以降のことで、朝鮮朝に入って本格化した。

 では、当時の出版、販売の状況はどうだったのか。

 今から400年以上も前、1554年に出された「攷事撮要(コサチャリョ)」という本がある。

 出版者は魚叔権(オ・スグン)という人物で、内容は当時の官吏たちが絶対に知っておかなければならない事柄を集めた、今でいう常識百科書の類いの本である。

 本の巻末には、「万歴4年7月。水標橋下北辺2第里門入河漢水家刻板買者尋来」という刊記がつけられている。

 万歴4年とは1576年のことで、現代文に置き換えると次のような意味になる。

 「発行日1576年7月。発行所および発行人は水標橋の下手北側2第里門入り口の河漢水家です。本書の購入を希望される方はお尋ね下さい」

 水標橋の下手北側とは、現在のソウル・鍾路2街付近を指す。ここには当時、通訳官や医官など技術職を中心とした官吏たちがたくさん集まって住んでいた。商店街もあり相当、賑わっていた一帯だった。

 「河漢水家」は現在の出版社、印刷所、書店の機能を兼ねていたのだろう。一帯に住む官吏たちを対象に売り出した本であったことが推察できる。

 しかし、民間人が出版事業に関われるようになったのはこの頃からのことで、それまでは国家が独占して行っていた。

 「校書館」という部署を置いて直接、管理し、統治理念や政策の浸透に利用した。発行部数は100部程度で、関連官庁や地方に配布し、末端の官吏たちは本を筆写して使った。

 また、民間人によって出版が進められた後も、1冊の価格は最低でも米1斗と、庶民には高嶺の花で、手軽に購入できるようになったのは17世紀以降のことである。

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