知っていますか
朝鮮半島なんでも初めて
李朝の廃仏政策で哀退
お茶用の水を運ぶ女性たち
李朝時代の茶器
新羅の王・貴族の間で始まる
朝鮮半島では食後に、御飯を炊いた釜底のおこげに湯を注いで作るスンニュンを飲む。幼い頃、口にしたスンニュンの香ばしい香りが思い起こされてくる。 しかし近年、南部では麦茶や緑茶などが普及し、食後にお茶を飲む家庭が増えているという。 では元来、朝鮮半島にお茶はなかったのかというとそうではない。 日本では食後のお茶は欠かせないものだが、実は日本のこうした習慣は朝鮮半島を経由してもたらされたものなのだ。 茶の木はツバキ科に属し、東南アジアの温熱帯地方が原産である。中国では雲南省南部で茶の栽培が始まり、西暦800年頃には全土に広がって、仏教と共に朝鮮半島に伝えられた。 「三国史記」によると828年、新羅の遣唐使・金大廉が茶の種を持ち帰り、智異山麓に植えたという。 しかし一方で、文学者・薛聡(ソルチョン)が692年に書いた「花王戒」に、すでにお茶を飲んでいた事実が記録されている。だから朝鮮半島への伝来は、もっと早かったのかも知れない。 新羅の若い花郎(ファラン)たちの間に名山、聖地を巡礼し、お茶を煎じて天地神明に供える風習があったことから、王や貴族階級では喫茶の習慣が定着していたことがわかる。 そして高麗時代、仏教の隆盛に伴って大きな寺院では栽培はむろん、お茶専用の水(茶泉)まで準備された。 また宮中には、薬とお茶を供給する部署である「茶房」(タバン)が設置され、重要な国家の儀式には必ずお茶が供えられた。 だが、こうした朝鮮半島独特の茶道は、李朝政権の廃仏政策、すなわち仏教の排斥、抑圧によってすたれてしまった。 しかし現在も、正月や秋夕(旧暦の8月15日)の祖先祭祀に、「茶礼」(先祖にお茶を供えること)という言葉が残っている。実際にはお茶は使われず、儒教式の供え物に置き換えられている。 |