チャンピオン 洪昌守

「現実」に勝る夢見せた

民族、祖国、統一 全て連れて頂点へ


アボジの炳允さんと勝利の感激を分かち合う洪昌守


 洪のシャープな右ブローを受け、王者の頭部が汗のしぶきを上げてのけぞる。

  挑戦者の背中の薄い表皮の下では、微細な繊維の束のような筋肉組織が、休むことなく収縮運動を繰り返し、破壊力あるパンチを生産し続けた。臆せず、しかし深入りもしない老かいさ――。いったい、いつの間にここまで強くなったのか。

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 洪の無名時代の試合を2度、見た事がある。1度は、ビッグタイトルへの挑戦につながるかも知れなかった大事な一戦。次は、3年前の春に行われた初の日本タイトル挑戦だった。今日の栄光をより早めたかも知れないこれらの大事な機会を、洪は負けと引き分けで落とした。

 「あいつは伸びる。センスあるよ」

 記者の取材に、少なくないボクシング関係者が、こう賞賛した。類稀なバランス、軽快なフットワーク。素人目にも「センス」はうかがえた。が、一発を欠く弱さ、自分のヤマをものに出来ない幼さの残る試合運び…。したたかな対戦相手につけ込まれる余地もまた、ありありとうかがえた。

 しかし、これまでとは比べようも無いほどの大きく重い期待を背に、今までで最強と思われる王者を向こうに回したリングの上で、洪はついにその真価を見せた。

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 世界を目指すのか――。

 4年前の春に初めて会って以来、度々聞いてみた。洪は、「勝ち進めばタイトルは見えてくるものだし、行けるところまで行く」。しかし、「2連敗したらやめる。ボクシングでメシ食っていくことに、こだわりはない」とも言った。

 はっきり「世界」という言葉を聞いたのは、昨年の秋のことだった。

 もちろん、無名時代に「次も勝つ」ことから考えていたのは、現実的なことだ。東洋太平洋のタイトルをステップに、世界を射程に収めたのも当然の成り行きだ。

 だとしても、アマチュアで活躍して将来を嘱望されていたわけではなく、拳ひとつでのし上がろうというハングリーの塊と言うのとも少し違う、そんな彼が世界をねらうまでの歩みの中に、今日の成長の秘密を探ろうとするのは、まったく無意味ではあるまい。

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 今回、大阪府立体育会館に駆けつけた数千の同胞、そして、日本各地にいるより多くの同胞らの応援が、洪の支えとなったのは間違いない。

 在日朝鮮人であることを公言し、リング上で祖国統一を訴える――そのうえ才能に恵まれたボクサーに、同胞らの期待と声援が集まるのは、今となっては当然にも思える。

 もとより、本名でリングに上がってさえいれば、出自を繰り返し公言する必要などない。

 しかし、19歳で単身、右も左も分からぬ大阪に出、アマチュアでの実績もなく、ただのヒヨッコに過ぎなかった若者が、本名を名乗ることを望めど、かなえられないというのは、誰もが知る「現実」だ。その「現実」は今日までつきまとい、世界戦興行の財政難にまでつながった。

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 応援団の大声援は、洪の強さをいっそう引き立てた。地鳴りのような歓声は、リングのマットさえ振動させて、洪に届いているのではと思えるほどだった。

 誰かに言われもしないのに、「俺は朝鮮人」と言いつづけ、期待が小さい頃から、「俺を見ててくれ」と言いつづけた。数1000人の声援は、これに対する応えに他ならない。勝ちを重ねる毎に大きくなる期待と声援に対し、洪もまた、より大きな夢を語ることで応えた。

 洪は、約束を守った。

 語った夢を実現するために、「才能の浪費」「練習嫌い」を返上。王者の侮りにも耐えるしたたかさを身につけた。

 「自分のためにたたかう」とは言うけれど、理不尽な「現実」を乗り越えて、民族、国旗、統一への願い、そして同胞の仲間達という自分が信じるもの全てを、まとめて世界の頂点に引っ張りあげた。

  ここまで来たら、彼にこれ以上どこまで期待すべきか分からない。しかし、彼が何か夢を語ったら、また信じてみようと、正直に思う。    (金賢記者)

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