ことわざ辞典

至誠なら天も感ずる


 「至誠なら天も感ずる(チソンイミョン カチョン)」。

 何事をなすにも、真心を尽くして努力すれば、成し遂げることができるという意味だ。

 昔、ある城主(とのさま)にはアヒと呼ばれる娘がいた。アヒは幼い頃、オモニと死別し、ずっと乳母の手で育てられた。

 乳母の心尽くしによってすくすくと育つにつれてアヒは、乳母や村人たちともすっかりなじむようになり、成人になる頃には純朴にして勤勉な百姓衆の苦渋に満ちた生活に深い関心と同情をよせるようになっていた。

 ちょうどその頃、悠々と流れる清川江の川沿いのある漁村に、唯一の頼りだったアボジに死別された老総角(チョンガ=独身)の漁夫が住んでいた。もとより家は貧しく、オモニは体が悪く思いのまま働けずにいた。それで彼は一家の生活を支えるために、風雨の激しい日でも小舟に乗って白波渦巻く西海で魚をとらねばならなかった。

 働き者で勤勉ではあったが、家が貧しく身分が低いということで、若くして嫁をもらえずにいた彼は、いつしかアヒをひそかに恋い慕うようになり、自分の夢をかなえてくれるような切ない思いを舟歌に託して恋心を声高らかに歌い続けていた。

 アヒもまた、そんな彼の純真素朴さと勤勉性、気さくな人柄にいつしか心を魅かれていった。

 ある日の夕暮れ、江の狭間で1日の仕事を終えて帰る漁船を遠くから眺めていると、老総角が、聞き入る人々の心をゆさぶるような悲しい舟歌をうったていた。その歌声のメロディーは、そよ風に乗って美しく流れてきてアヒの胸をときめかしもした。

 オホデイヤ オホデイヤ
 この魚とって わが親に孝養し
 あの魚とって わが愛妻をもてなそう…
 この歌は、老総角がアヒを心から恋い慕う賛歌でもあった。

 2人が愛し合う仲なのを知った城主は娘を呼んで、その不心得を厳しくたしなめた。が、2人の愛情の絆は強かった。

 アヒは自分たちの愛を引き裂こうとするアボジと役人たちの汚い心を憎み、勤勉に働く百姓たちの生活に真の幸福を見いだしたのだ。

 「真の幸福は2人で築いていくもの」と決心した彼女は、老総角の名を声の限りに呼び続けながら、岸壁をめざして一目散にかけだすのであった。

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