取材ノート

自尊心と自負心


 世の中には、平気で人の自尊心を傷つける人がいる。無意識だか故意にだかわからないが…。

 一時の朝鮮に対する日本のマスコミ報道を見るとそう言える。中には初めから最後まで嘘が並べられ、それが1人歩きしてしまうこともあった。あまりのひどさに問い合わせると、「朝鮮側がマスコミを入れないから嘘を書かれても仕方がない。でも、だいたい当たってるんじゃないですか」と、開き直る始末だ。

 体制の違いを理解できず、歴史に対する無知を恥じることもない。

 偏見は怖い。偏見が先んじればとんでもない結末さえ生んでしまう。それは個人レベルも同じだ。

 人の評価はそれぞれだが、物事は直視していきたい。でもそうした意気込みを持つことが、時にはしんどいと思うこともある。

 仕事を続けていると、思わぬ局面を迎えることがある。歴史的な南北の大きなうねりの中で、現場に立つ記者として体を震わせるほどの感動を覚えながらも、1人の同胞として、個人的な悩みにもぶつかる。

 そんな時は、どんなに厳しくて、苦しくて、悩んでも何に対して胸を張るのかを問いかけてみる。

 自尊心を傷つける人には、何を持って対応すべきか。やってきたことに自負心を持つこと。見せかけのはったりや薄っぺらい自尊心のレベルではなく。自負心は容易に生まれない。日々、物事とどう真剣に向き合うか、そうした積み重ねの先にあるものだ。

 民族が泣いた金日成主席の死去、度重なる水害、米国との厳しい交渉、物やお金の話が先走る日本への原則的な対応…。やって来たことに自負心を持てなければ、局面は打開できない。国も個人も同じではないか…。(金美嶺記者)

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