それぞれの四季

水汲み

李錦玉


 朝鮮の舞踊「泉のほとり」は、水汲みに来た愛らしい娘たちの動作を舞踊化した明るく楽天的、牧歌的な作品である。水瓶を頭にのせて踊る娘たちの軽やかな所作を見ていると、水汲みがとても楽しく思えてくる。

 生まれ故郷の農村で、ある年齢まで暮らしたことのある1世の女性たち―私の母もそうだった―に聞いた話では、水汲みは決して楽ではなかった。農村では水汲みは女の仕事だった。厨に2つ3つある大きな瓶を満たすためには、早朝から泉=井戸と家を何度も往復しなければならなかった。時には歩くたびに頭上のつぼの水が跳ねて、顔や体に降りかかるのを払いながら注意深く歩く。特に冬の季節は大変だったろう。7、8歳ごろになると、女の子は体に見合った瓶を与えられる。

  母は嬉しくていそいそと水汲みに出かけたが、見事ひっくりかえって瓶を壊してしまい、叱られて大泣きしたそうだ。かつて一家の飲料水と炊事用の水を確保することが、女性の肩に重くのしかかっていた時代の労苦を舞踊「泉のほとり」は、しんきろうのようにはるか彼方に押しやって見せる。

 世界の多くの人々は、乏しい水を求めて苦しんでいる。今なお女性たちが水汲みに、乾いた大地の焦げるような陽ざしの中を歩いていく。深い深い小さな小さな井戸に落とした釣瓶から上がる濁った水を満たした瓶を頭にのせて、何キロも先の家まで歩くのだという。この女性は家族のために、水を汲みに何度往復するのだろうか。私は洗濯機を回しながら、水道の蛇口から流れる水を使いながら、表現できない心の痛みを覚える時がある。      (童話作家)

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