暮らしの周辺
悲しい本の扱い
昔の小説を読んでいると、生活に困った作家が本を古本屋に売りに行き、急場をしのぐという描写がよく出てきたものだ。かつて本は希少で高価なものだった。その価値が分かる古本屋を通じて流通していたから、当座の生活費を捻出することもできたのである。
ところが現在はどうか。古本屋に本を売りに行っても、まともに相手にさえされない。安値どころか、ただ同然で引き取ってもらわなければならない始末だ。狭い家。本を置いておく場所もない。そこで多くの本は捨てられる運命にある。悲しいことだ。 最近は本のリサイクル・ショップに引き取ってもらう人が増えてきた。まとまれば、そこそこ小遣い銭くらいにはなる。しかし、その値踏みの基準は本の内容や価値ではない。新しいか、汚れていないか、カバーがかかっているか、それだけ。これも悲しい。 修行と研さんを積んで一端の目利きになった古本屋業も今は昔。下らない本ばかり出すからだと、出版社を呪ってはみても、出版社も売れない本は費用を払って裁断してもらうしかないとか。悲しく、大いなる無駄の、冷酷な市場経済がただただ恨めしい。 しかし、割り切れぬ。本は物ではない。文化であり、文明であり、その伝承の貴重な存在であるはず。1冊の本が人生を変えることだってあるのだ。本も使い捨て、物扱いになってしまった社会は、滅びるしかないのかもしれない。悲しいことだ。(趙) |