春・夏・秋・冬 |
故郷には 秘められたところにまだ蜜蜂がうなっている/刺針をもって/古い心臓を突きさしながらも/ぽおー。船がでてゆくのに/乗ることができない。――故郷の南に帰れない在日1世同胞の背負わされた歴史、苦悩を、ある詩人はこううたった
▼この詩だけでなく、朝鮮文学、在日朝鮮人の作品の中には、故郷を題材にしたものが多数存在する。日本によって故郷を奪われたわが民族にとって、郷愁の情はなによりも深い ▼朝鮮文学の金字塔とも言うべき「故郷」(李箕永、1936年作)は、日本の統治時代の朝鮮の貧窮した農村の現実と「土の匂い」をリアルに描いたもので、当時の青年たちは、この作品を読んでは解放された故郷を夢見たという ▼先日、6年前に朝鮮語版で担当した「1世商工人の人生から学ぶ」の取材ノートをめくりながら、取材先で出会った1人の青年商工人の言葉を思い出した。「生前、ウリアボジも、『故郷』を読んでは、深く考えつつ、溜め息ばかりついていた」 ▼5歳の時に渡ってきたアボジは、地道に働きながらこつこつお金を集めて商売を繁盛させ、同胞社会にも少なからず貢献した。辛いときは、読書で気をまぎらしたことも ▼で、アボジはなぜ、溜め息をついたのか。思うに、彼にとって故郷は、頭の中で抽象的に描くことはあっても、具体的に歌うことのできない対象だったからではないだろうか。きわめて、フィクションの世界であったはずだ ▼が、もう故郷はフィクションの世界ではなく、同胞の前にくっきりとあらわれ、現実の世界になろうとしている。(舜) |