春・夏・秋・冬

 「朝ロ首脳会談は金正日ショックの第二幕」とは、ある学者の指摘。正確には江沢民、金大中に続く第三幕。そして舞台はバンコクに移り南北、朝・日、朝米外相会談と続く

▼旧ソ連・ロシア最高指導者の訪朝は初めてだ。ロシア革命の指導者レーニンは、日本植民地時代の朝鮮人の置かれた状況を、帝政ロシアをはるかにしのぐ圧制と厳しく断罪した。その彼が、人民と共に血を流して勝ち取った社会主義ソ連は存在しない

▼評論家の石堂清倫氏は、生前、レーニンを悩ましたのは革命が果たして維持されるのかどうか、という不安だったという。その理由は政治・軍事・経済的に圧力をかける外敵よりも、革命の主体である、とくに農民たちに原理、原則一辺倒で農作物の国家供出を迫る党官僚たちの存在だった

▼1921年、クロンシュタットの水兵が農民の窮状を救おうと決起。内戦の危機に直面した。その回避のために彼は、農民の実情と彼らが何を求めているのか、を正確に把握し誠実に応えることによって信頼を回復させることが先決だと指示

▼また各国の友党指導者に、大衆を無視してはならない、彼らの支持を得られるスローガンを打ち出し、極左ではなく右に大きく路線を転換させよと提案。その実行いかんに社会主義革命の前途がかかっていると警告した

▼しかし、この警告は秘密に付され実行されることはなかった。そしてソ連は崩壊した。指導者と党、大衆との一体化、大衆の支持なき国家は存在し得ないとは、金正日総書記の言葉。ダイナミックな朝鮮外交の秘訣を垣間見る。(彦)

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