統一の時代と民族的アイデンティティー

崔 恵 淑

作年11月7日、移転新築した長野朝鮮初中級学校の
新校舎竣工を祝って歌を披露した学生と父母たち


「自分に誇りを持てない者は大きく羽ばたくことはできない」

親個人の選択などによる問題のわい小化

 小学校から大学までの14年間、民族教育を受けた私にとって学校と家庭は、民族のアイデンティティーを培ううえで、貴重な場であった。朝鮮語やあいさつ、食事の仕方、故郷の歴史などの民族の言葉や風習などについて親から口酸っぱく言い聞かされては、「発音が悪い」「イントネーションがなっていない」とアボジによく注意されたのを今でも覚えている。

 しかし今日、同胞社会の中で私を含めた若い親たちが、昔の1世たちのように民族の風習などを子供らに常々話しをしてあげていないのが現状ではないだろうか。それは、しばしばいわれている指摘ではあるが、世代交替が進み、2、3、4世が在日同胞の90%以上を占め、同胞の生活様式や意識、価値観がずいぶん変わってきたことに原因がある。

 一部の若い同胞たちの中に、「日本に永住するのだから民族にこだわる必要はない」「国際化の時代に民族うんぬんというのは時代遅れではないか」と意見を述べる人が多々いる。

 また、「学校が遠い」「学生が少ない」「お金がかかる」といった理由で日本の学校へ通わせている親もいる。

 子供にどの教育を受けさせるかは、最終的に親の選択にかかっていることは言うまでもない。だが、「個人の自由」「人それぞれ」となれば、最も重要な子供の教育問題が親個人の好みと選択の問題にわい小化されてしまい、同胞社会で民族性を固守することは難しくならざるを得ないのではないか。

 「価値観の多様化」や「個人の自由」という言葉の響きのよさに惑わされて、若い親たちは子供たちと共に民族的アイデンティティーを持って生きていくことの意味について真しに考える努力を怠ってはいまいか。

自覚と勇気、知恵、能力を育む場

 私が学校と家庭で民族教育にこだわる理由の1つは、このような時代だからこそ自分のルーツを大切にし、民族的な自覚を持つことが何よりも必要だと考えるからだ。私たちは日本の少数民族ではない。独立国家の海外公民であり、永住権を持って住んでいる「外国人」である。

 国際化というのは、それぞれの民族がありのままの姿を尊重し、差別なく生きる「民族共生」の社会を言う。

 私が育った時代は、在日は海外旅行をすることもままならず、全部ではないが、民族教育を受けるにも祖国に帰って祖国のために働くことを前提にしていた。

 しかし、21世紀の子供たちは、南北が統一し、在日同胞が南北を自由往来し、朝・日関係も改善され朝・日の人的物的交流が盛んになる時代を生きるのである。

 で、その時に必要なものは、民族的アイデンティティーである。いくら学力や才能があったにしても、自分に誇りを持てない者は大きく羽ばたくことはできないだろう。

 だから、私は朝鮮人としての自覚、生きる勇気と自信、その知恵と能力を育む場は民族教育のほかにないと考えている。

独立国家の海外公民永住権持つ外国人

 2つ目の理由は、ウリハッキョでは、子供と先生、親が民族の心と愛情、信頼で結ばれているからだ。親としての一番の願いは、子供が伸び伸びと楽しく学校生活を送ってくれることだ。私の見た限り、ウリハッキョには、朝早くから電車やバスに乗り継いで通学する子供、親元を離れて寮生活をする子供、3歳から通園バスで1時間かけて通う子供など、様々であるが、だれ1人登校などを拒否するものはいない。それは、若い先生たちが子供らに対して精一杯愛情を注いでいるからだと思う。

 今、日本学校の「登校拒否」「学級崩壊」「いじめ」などが大きな社会問題となっている。いじめの発生率が小学校で20%、中学校で50%、小中学生の不登校は全国で12万人を超えそうだと伝えられている。

 親と先生が信頼しあい、子供たちに愛情を持って対するウリハッキョでは、陰湿ないじめや学級崩壊などはあり得ないことだ。かりに、本人を自殺まで追い込むほどの露骨的ないじめが生じたならば、子供、親、先生が一丸となって、それに立ち向かっていくに違いない。

 現在、私の3人の子供のうち2人は朝鮮大学校で学んでいるし、もう1人は長野朝鮮初中級学校に通っている。統一を視野に入れて将来は、同胞社会に役立つ仕事をしたいと一生懸命勉学に励んでいる。

 祖国統一の気運が高まる中、この時代を生きる子供たちに民族教育を受けさせることの重要性をしっかり認識し、学校と家庭で民族愛を育てる実践的なアクションを起こすことが私たち親にとって何よりも緊要な課題ではないだろうか。(長野朝鮮初中級学校オモニ会会長)

TOP記事

 

会談の関連記事