知っていますかー朝鮮半島 なんでもはじめて

仏    教


372年、高句麗時代に伝来/世界遺産の「高麗大蔵経」

 朝鮮初の統一国家、高麗時代(918〜1392年)に建立された仏教寺、霊通寺址が朝鮮社会科学院のチームによって当時の首都、開城市龍興洞で発掘されたというニュースが6月8日付の民主朝鮮紙に掲載された。

 4万平方メートルにも及ぶこの寺は、経典目録「新編諸宗教蔵総録」を作成するなど朝鮮仏教史上に名高く、入宋して海東(朝鮮の意)天台宗を創始した文宗の第4子、義天(大覚国師)が活躍の舞台とし一生を終えた所として知られている。霊通寺址の発掘は、「仏教文化の研究において重要な意義を持つ」(民主朝鮮)とも指摘されている。

 朝鮮半島に仏教が伝わったのは372年、高句麗時代のことである(「三国史記」)。中国の秦王・苻堅が経文と共に順道を派遣し、ついで374年に阿道が来朝。翌375年に順道に省門寺、阿道に伊弗蘭寺を建てたのが朝鮮仏法の始まりであるという。

 以降、百済、新羅、高麗と受け継がれ、そして6世紀前半に百済から日本に伝えられた。百済の勧勒、高句麗の慧慈、慧灌など日本に渡り仏教文化などの興隆に力を尽くした僧も少なくない。また、高麗時代には朝鮮仏教の重要史料である「海東高僧伝」が著されている。

 しかし李朝時代に入り、儒教(朱子学)が国教とされるや廃仏運動が盛んになり、とくに15世紀末の燕山君の時代、寺院は廃棄され寺田は没収、僧侶は還俗させられ、彼らの社会的地位は賤民にまで下げられるという受難に遭った。

 当時の仏教の特徴は、とくに新羅以降、護国伝統に根ざしていることである。その精神を端的に表しているのが円光の「世俗五戒」である。

 つまり、第1「忠をもって君子に仕える」、第2「孝によって親に接する」、第3「信をもって友と交わる」、第4「戦いにおいては退いてはならない」、第5「殺生をえらぶ」である。

 また、1251年に完成した8万1000余枚の板木に及ぶ「高麗大蔵経」(仏教の聖典。慶尚南道の海印寺に保存)は、世界的にも貴重な文化遺産となっている。

TOP記事

 

会談の関連記事