ソクタム―ことわざ辞典

よくなるとおのがせい、悪くのると祖上のせい


 「よくなるとおのがせい、悪くなると祖上のせい」。朝鮮では、昔から成功した事については、自分の功労として認め、失敗した事については、自分以外の者に責任を転嫁したりするなど、運命的なものとして考える習わしがある。

 だから、昔から先祖の加護を願って子孫の幸福と繁栄を得んとするために、祖先崇拝の儀式の1つであるチェサ(祭祀)を行っているのだ。

 昔、といっても李朝中期以後のことである。ある名家に若者が集まって、祖先を祭る儀式の時刻について議論していた。ある者は、儀式は一番鶏が鳴くまえに終えるべきだといい、ある者は、一番鶏が鳴きだしてから始めるべきだと主張した。

 そこへもう1人の若者が加わった。彼はみんなの前で、自分の経験を以下のように話した。

 いままで家では、鶏が鳴いた後に儀式を行うしきたりだったが、アボジ(父)の命日に1人の乞食が訪ねてきて、こう言った。

 「今日はあなたの父君の命日でしょう。どうかその儀式は鶏鳴前に挙げて下さい」

 不思議に思ってそのわけをたずねると、乞食がこう答えた。 実は今日、昼寝をしていると、夢の中であなたのアボジが現れて、「今日は私の祭日であるが、悲しいことに私は、毎年この祭日の飲食を受けることができない。それは、私が儀式におもむく途中で、いつも鶏の鳴き声にあって帰ってしまわなければならないからである。ご足労でもこれから私の息子の家に行って、鶏が鳴く前にチェサ(祭祀)を行ってもらいたい、と伝えて下さい」

 続けて、あなたのアボジは、「その夢が偽りでない証拠として、私が生前に愛読していた『西崖文集(柳成龍文集)』の第何巻第何枚目を開いてみるよう、息子に言って下さい。そこには、私の生前のヒゲが2、3本はさまっているはずだ」と言われた。

 乞食は、「どうか父上のチェサは鶏が鳴く前に挙げて下さい」と言い残して、いずこへか音もなく立ち去っていった。

 それで、ためしに「西崖文集」をひろげてみると、まぎれもなく生前のアボジのヒゲがはさまっていた。こうして祖先のチェサは、必ず鶏が鳴く前に行うことになったのだ。

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