教室で迎えた歴史的瞬間
3、4世が見た南北最高位級会談
福岡初中・中2の作文から
13〜15日に行われ、在日同胞社会にも熱気をもたらした南北首脳の出会いと会談。各地の朝鮮学校でもテレビ中継や録画したビデオをみんなで見たり、ジュースで乾杯するなどして祝った。歴史的なシーンを3、4世の子供たちはどう見たのだろうか。福岡朝鮮初中級学校中級部2年生が15日、日本語の授業で書いた作文の一部を紹介する。(まとめ=韓東賢記者)
握手の瞬間、体に電流 この流れと歩まなくては 「ズバーン」。金正日総書記と金大中大統領が握手した時、僕の体に電流が走った。 僕が、こんなに真面目にテレビを見たことは今まで一度もなかったであろう。 海外、南北の全同胞の胸は、喜びに満ちあふれているに違いないだろう。 悲しいことだが一度朝鮮は2つに分断されてしまい、北と南に分かれてしまった。しかしまた1つの朝鮮になろうとしている。僕たち朝鮮人にとってこんなに嬉しいことはない。 だから僕たち在日朝鮮人もこの流れと共に歩まなくてはならない。他人のことと考えず、自分のことと考え、祖国統一を心から願いながら生きていこう。 同じ民族なのだから。 初めてニュースに集中
3日間、頭がいっぱい 1つの嬉しいニュースが知らされた。6月に金正日総書記と金大中大統領の会談が平壌で行われるという。私は嬉しさと共に、緊張と不安でいっぱいだった。 6月13日、学校はこの話題で持ち切り。私たちは学校でニュースを見た。午前10時30分頃、平壌に金大中大統領が乗っている飛行機が到着した。空港には大勢の人々が集まっていた。金正日総書記も来ていた。飛行機から金大中大統領が降りた。金正日総書記と握手を交わした。私はとても嬉しかった。私たちの教室にも平壌と同様、拍手と歓声が響いていた。 私は家に帰って早速ニュースを見た。たぶんこんなにニュースを集中して見たのは初めてだろう。 あっというまに過ぎたこの3日間、会談のことで頭がいっぱいだった。みんな同じ気持ちだったろう。統一はまだだけど、この会談で統一に1歩近づいたと思う。遠くない未来にきっと統一するだろう。 私は10時35分という歴史的瞬間に教室にいた。この時だけはテレビから目を離すことはなく、興奮していた。金正日総書記が自ら金大中大統領を出迎えた時は、驚きよりも喜びが先に込み上げてきた。2人が交わした握手は今でも目に焼きついている。それは私たちの明るい未来への第1歩でもある。55年間閉ざされていた道がやっと1つになるような気がした。 父や母、在日朝鮮人だれもがこの時だけは感動の涙を流しただろう。とくに1世、2世の同胞は手をたたきながら「万歳!万歳!」と歓声をあげていた。「この日が来るのを待ちに待っていた。とても長かった」と言う同胞もいた。 3世、4世の私たちは日本に住む在日朝鮮人みんなと、いや、祖国に住む朝鮮人とも1つの同じ民族として力を合わせて1日も早く統一を成し遂げなくてはならない。 統一コリアの国旗が学校の屋上で風にたなびく日がもうすぐそこに来ている。 握手。それは「統一」という2文字の始まりだったのであろうか。その瞬間を生中継で見ていた私の心と体に、何か強く感じるものがあった。握手を交わしていた時の2人の表情は、私たちの目に深く刻まれた。 今、朝鮮は「統一」の道を切り開きつつある。南北共同宣言に2人が署名をしたと聞き、とても嬉しい気持ちと期待でいっぱいだった。もちろん、私の友だちや先生、在日同胞1世、2世の人たちも同じ心境であったに違いない。 実際、この3日間の会談でどれだけ多くの人々が歓声をあげたであろう。祖国もいよいよ統一に向けて歩んでいく。一刻も早くそうなるように私たち在日同胞は、全力を尽くし、頑張らなくてはならない。 北と南が、1つの朝鮮になるために――。 みんなテレビに釘づけ 割れんばかりの歓声 直前まで、「南北首脳会談」と聞いてもあまりピンと来なかった。が、その「瞬間」が近くなるにつれ胸の鼓動は大きくなっていった。そしてその時が来た。授業も中断。クラスのみんなと私はテレビに釘付けになった。北と南の指導者が劇的な握手を交わした時、教室内では割れんばかりの歓声と拍手があがった。私は感激でいっぱいだった。母はこの瞬間に自然と涙がこぼれたという。私自身も体が熱くなっていた。 これから統一に向けての動きが続くだろう。北、南、海外のすべての朝鮮民族はどれだけこの時を待っていただろうか。永遠の願いだった「祖国統一」。それが今や「永遠」ではなくて目前である。私は今、朝鮮民族に生まれて本当に良かったと思っている。これからも私は統一への道をしっかりと歩みたい。 学校でも授業を中断してニュースを見た。金正日総書記と金大中大統領が握手した時は、テレビに吸い込まれそうだった。 この3日間の会談を機会に私はこう思うようになった。統一は私たちの手によって近づいてくるものだと。また、私は、離散家族が会えるようになると聞いてとてもうれしかった。離散家族となっていた人たちが、これをきっかけに一緒に暮らせるようになったらどんなにいいだろう。 祖国も頑張っているように、私も朝鮮人としての誇りをしっかり持ち、日本で頑張って生きていきたいと思う。 |