開かれた扉 南北新時代(1)

対決と決別、統一志向へ


赤十字会談の早期開催に双方の意志

 金大中大統領がソウルに帰還した2日後の17日午前10時15分、朝鮮赤十字会の張在彦委員長からの電話通知文が南側に届いた。内容は、南北共同宣言でうたわれた人道問題を解決する対策を協議する会談を、早急に開こうというもの。南北共同宣言が発表されてから、わずか58時間余の出来事だ。

当局の迅速な動き

 金正日総書記と金大中大統領が署名した南北共同宣言によって、南北朝鮮は新しい関係、統一を志向する関係へと歩み始めた。朝鮮赤十字会委員長の電話通知文は、その第一歩だったと言える。

 南側もこれに直ちに応え、通知文を受け取った2時間後には受け入れる方針を明らかにして翌々日の19日に返信を送った。現在、双方は場所と日時を調整中だが、会談の開催では意見が一致している。

 共同宣言では、今年の8.15に際して離ればなれになった家族、親戚訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決すると明らかにしている。実現すれば、85年の離散家族の再会以来の慶事となる。南北の最高指導者が約束し、関係当局の素早い動きから、実現はほぼ間違いないだろう。

中傷合戦の中止

 これまでの分断の歴史の中で南北は、72年に7.4共同声明を、91年に南北合意書をそれぞれ採択した。しかし、残念ながらこれらの合意は、実践に移されることがなかった。

 その最大の理由は、当時の南朝鮮当局者が、対話を「政権維持」の道具、相手を屈服させる手段としたことにある。つまり「対決のための対話」だったのだ。

 しかし、南北共同宣言発表後の南北それぞれの動きは、これまでとは違っている。

 いくつかの事例を挙げると、北側が15日から南側に対する中傷を中止したのを受けて、南側も16日から北側を中傷することを止めたこと。15日午後に北側領海を侵犯した南側の漁船「キョルソン」号が、翌16日の午前中に南に帰還したこと。南朝鮮政府が18日から「北傀」という表現を公式的に使わないことにしたこと。与党民主党が19日に「国家保安法」をはじめとする南北関係法の全面的な見直し作業を本格的に行うと発表したことなどが挙げられる。

 朝鮮西海の38度線付近で操業していた「キョルソン」号(3.37トン)は、15日午後9時に帰港する予定だったが、濃霧と方向探知機の故障とスクリューに水草が絡まったために漂流し、夕暮れ前に朝鮮人民軍に発見された。そして16日午前には北側から南側に漁船を保護しており、直ちに送還すると伝えられた。

圧倒的な世論の支持

 南北共同宣言が発表された15日、中央日報が行った世論調査では、南朝鮮市民の97.4%が金正日総書記と金大中大統領との会談を「成功」だったと回答し、5項目の共同宣言が履行される可能性について75%が「履行される」と答えた。

 統一部が17〜18日に行った世論調査でも96.7%が会談で「成果があった」と評価し、90.1%が南北関係で「進展がある」と答えた。

 いずれの世論調査でも南朝鮮市民の絶対多数が、会談が成功だったし、南北朝鮮が統一に向けて新しい関係を築くとみているのだ。

 こうした一連の動きは、南北赤十字会談の迅速な開催とともに、南北が対決関係から統一を志向する関係へと進み、「対決のための対話」と決別し、「統一のための対話」へと大転換させ、それを一つずつ実践しつつあることを物語っている。 (元英哲記者)

          

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