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関東大震災時、なぜ同胞が虐殺されたの?



東京・被服しょう跡に集められてた遺体


戒厳令発布の法的根拠必要/「朝鮮人暴動」は口実

  関東大震災時、多くの同胞が虐殺されたと聞きますが?

  1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東一帯を襲い、大規模な災害を引き起こしました。震災直後、富士山が大爆発したなどといった自然災害に関するデマが発生しました。ところが午後から夕方にかけて「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を投げた」「暴動を起こしている」といったデマが流れ、政府の無線と新聞報道によってたちまち全国に広がっていき、民衆は「朝鮮人憎し」の感情をつのらせていきます。日本政府は2日、「朝鮮人暴動」を口実に、関東一帯に戒厳令を出します。そのもとで、軍隊、警察、ならびに民衆が組織した自警団による朝鮮人大虐殺が行われるのです。彼らは朝鮮人を捕まえるため、通りがかる人に朝鮮人がうまく発音できない「15円50銭」を発音させるなどの尋問を開始しました。朝鮮人と分かると、日本刀や竹槍で突き殺したり、火あぶりにして殺りくを行いました。妊婦のお腹を刺して殺したという証言もあります。

 Q デマはどこから、何のために流されたのですか?

  当時支配層が一番恐れていたことは、震災の混乱に乗じて、3.1運動のような朝鮮人の独立運動が高まるのではないか、また震災によって衣食住を奪われた民衆が、米騒動のような反政府運動を引き起こすのではないか、ということでした。

 これらを未然に防ぐためには、軍隊の出動が不可欠だと思ったのです。軍隊を出動させるためには戒厳令を出さねばならず、戒厳令を出すためには、戦争や内乱のぼっ発といった法的根拠が必要でした。そこで朝鮮総督府で治安責任者の経歴を持つ内務大臣・水野錬太郎、警視総監・赤池濃らを中心に考案され、意図的に流されたのが「朝鮮人放火・暴動」デマでした。

 この事件による犠牲者は6600人にものぼります。しかし、いまだに日本政府による真相究明も公式謝罪もありません。
(金大遠、歴史家)

          

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