私はコリアン? 横浜の取り組み

増えるニューカマー
違い#Fめぬ日本にとまどい


独自校設立/朝鮮学校の経験参考に

 横浜市立潮田小・中学校では毎週土曜日、南米出身者の子供たちを対象にした母語教室が開かれている。93年から保護者やボランティアによるIAPE(外国人児童生徒保護者交流会)が運営しているもの
で、ポルトガル語講座には25人、スペイン語講座には50人の子供たちが学ぶ。

 90年を前後して南米出身者が増え出したのは、90年の入管法改正により、かつて移民として海外に渡った日本国民の子孫に、活動制限のない「定住者」という在留資格が認められたためだ。

「母語の勉強やめて」

 5月13日、母語教室では保護者たちの悩みを聞くため、意見交換の場を設けた。

 城間エステルさん(31)は、大粒の涙を流しながら訴えた。「息子が通う小学校の担任に、日本語の勉強が進まないからスペイン語の勉強をやめてくれと言われた」。

 ペルー人の城間さんは9年前、沖縄県からペルーに移住した日系人2世と結婚して渡日。翌年、長男のせいき君が誕生した。

 今から6年前、ペルーに住むエステルさんのしゅうとが入院。夫とせいき君は看病のために帰国し、エステルさんは日本に残った。しかし、エステルさんの実家に預けられたせいき君は、スペイン語を話せないことから、「トイレに行きたい」、「おなかがすいた」などの意思も表現できなかった。たまったストレスは相当なもので、3ヵ月後にペルーに帰国したエステルさんにせいき君は「ママが悪い!」と怒りをぶつけた。

 「言葉が通じないと心が通わない。祖国にはいつかは帰る。息子には日本とペルーの両方を愛して欲しい」。このことをきっかけに母国語を教えることは「親の義務」だと痛感する。しかし、「日本ではこの思いがなかなか理解されない」(エステルさん)。

対応できぬ現場

 横浜市の外国人登録者数は5月末現在、5万3613人(141ヵ国)で全人口の1.62%。その数は年々増加、また多様化している。

 日本の植民地支配により、渡日を余儀なくされた朝鮮人、明治初期に横浜港開港に伴う様々な底辺労働を支え、現在では中華街を形勢する中国人、78年から日本が受け入れを始めたインドシナ難民、80年代後半から働き口を求めに来たアジアや南米の人たち…。外国人と言えども渡日の経緯や生活状況は様々だ。

 98年、神奈川県は外国人の意見を反映することをめざして「外国籍県民かながわ会議」を設置したが、論議の過程を見ると、「外国人の増加、多様化」が、教育現場に様々な問題を投げかけていることがよくわかる。

 在日歴の長い中国、朝鮮人は、自らが運営する学校の制度的な保障を求める。日本に来て間もない「ニューカマー」は、言葉が不自由なことを理由に保育園の入所を断られた差別を訴えたり、母語習得の機会を求めている。市の国際理解教育のあり方にも意見は多い。苦情や要望は枚挙にいとまがなく、まとめるのは至難のわざだ。

手を取り合い変化を

 「日本に来て間もない外国人は切迫した問題を抱えている。在日朝鮮人とは重ならない問題もあるが、深い繋がりがある」と話すのは教育文化部会の部会長を務めてきた「安さん(41)。

 外国人が共通して感じている点は「違い」を認めない日本の体質だからだ。

 日本政府は戦後一貫して在日朝鮮人の民族教育を制度的に差別し続けている。日本の学校に通う同胞児童に対しても、日本人と同じように対応する同化教育をよしとしてきた。

 近年、外国人児童が増え続ける状況を見ながらも、彼らが自分の文化を身につけ、出自を知るための積極的な施策は打ち出さない。政府の「無策」が自治体や教育現場にずしりとのしかかっているのはこのためだ。

 「南米の人たちはすでに学校を建て始めているが、今後高い授業料をどうするかなど、様々な問題にぶち当たるだろう。半世紀以上も自力で学校を運営してきた私たちの経験を生かせないだろうか」。他の外国人と手を取り合うことが、日本政府を変えることに繋がるはず、と「さんは語る。 (張慧純記者)

          

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