祖国解放後、最大の慶事
平壌対面と最高位級会談


 平壌で、南北間の歴史的な対面と最高位級会談が行われる。1945年8月の祖国解放後、初めての慶事に各界の在日同胞は一様に喜びを隠し切れないでいる。その声をまとめてみた。(文責編集部、関連記事、特集)

喜びにわく在日同胞

卓球統一チーム、あの感動をもう1度
/成斗嬉
(在日本朝鮮人体育連合会事務局副局長)

  1991年、千葉で行われた世界卓球選手権で史上初めて南北統一「コリア」チームでの出場が実現した。当時、在日朝鮮人卓球協会の理事長だった私は1ヵ月半、通訳としてずっと選手たちと生活を共にした。

 この1ヵ月半の間、千葉では祖国統一が実現していたと言っても過言ではない。女子団体が優勝し、アリランが流れ、統一旗が上がった時の、あの感動は口で言い表せない。同胞たちの夢、期待、希望がいっぱいだったあの1ヵ月半の間の思い出は私の宝だ。

 来年の世界卓球選手権は大阪で開かれる。21世紀初、コリアチームから10周年の記念大会となるこの大会で、あの時の感動をもう1度味わえたらどんなにいいだろうか。とくに開催地大阪には在日同胞がたくさん暮らしている。統一のチーム結成をはじめ南北のスポーツ交流は、同胞社会の活性化にもつながっていくだろう。

統一のハーモニーを/金洪才(指導者)

 故尹伊桑氏が提唱した「38度線上での南北合同音楽祭」に呼応して、私たち在日音楽家と祖国を含めた海外在住の同胞音楽家ならびに作曲家との絆を確かめ、かつ国際活動の実践として、88年から94年まで、東京と大阪、そしてニューヨークでハンギョレコンサートを行った。

 「音楽を通じて統一のハーモニーを」という願いを込め、延べ10回行ったコンサートをとおして、私たちは民族の同質性をみいだし、民族統一に音楽で寄与できる可能性を発見した。また、背負った悲しみと誤解、反目や不信が全く意味のないことだということを認識した。

 分断された祖国を子孫たちに譲り渡してはいけない―。祖国と、海外にいる同胞たちが今こそ心を1つにし、ハナに向かって前進していくべきだ。これから、2002年に向けて、南・北・海外の音楽家らが一同に日本に会し、ワンコリアオーケストラによるコンサートを開く夢を一歩一歩実現させていくつもりだ。

朝鮮のサッカーは1つ/孔錫鎬(在日本朝鮮人蹴球協会評議会委員)

 76年、バンコクで行われたアジアユースサッカー選手権を見に行った時、南北の選手が会話をする姿を見ているだけで、涙が出て仕方がなかった。準決勝で対戦したが、両方優勝させたかった。北は優勝、南は3位。統一チームが組めれば最強なのに…と思った。

 それが91年に実現した。ポルトガルのリスボンで行われた世界ユースサッカーに、南北が統一チームで出場することになったのだ。歴史の証人になりたくて、リスボンに飛んで行った。結果はベスト8。初戦では優勝候補のアルゼンチンを破った。強かった。

 今後、交流が進めばまた統一チームが結成されることだろう。言葉も風習も同じ。一緒にボールを蹴ればすぐに一つになれる。サッカー選手を夢見る在日同胞の子供たちの選択肢も広がっていくだろう。朝鮮のサッカーは1つだ。朝鮮のサッカーを、平壌のスタジアムで、ソウルのスタジアムで観戦したい。

世紀的受難に終止符/韓東成(朝鮮大学校助教授)

 昨年11月、沖縄で開催された「東アジアの平和と人権に関する国際シンポジウム」の際、南から参加した研究者や運動家らと、民族史の教訓と展望について夜を徹しながら論議したことが思い出される。そのとき互いに確認しあったのは、南・北・海外の同胞は、20世紀の民族史によって1つの運命でつながっているということだ。

 議論する過程でとくに、民族受難の歴史の中で生まれ、その運命が左右されてきた存在が在日同胞であるということを痛感した。民族愛国運動に生涯を捧げながらも、統一の日を見る事なく異国の地で逝った1世たちの恨、日本で生れ育ったにもかかわらず民族性を守りぬこうとする新しい世代の苦悩も、20世紀民族史の所産であろう。

 21世紀を目前にした今日、民族の世紀的受難に終止符がうたれる自主と統一の時代への胎動が始まっている。それは、在日同胞の運命にも、かつてない新しい可能性を与えている。

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