私はコリアン?横浜の取り組み

「違いを認め合う地域社会を」

ー私たちにできることー

対  談


 朝鮮にルーツを持つ子供たちが、自分の出自を堂々と名乗るには、彼らが胸を張って生きられる地域社会を作っていかなければならない。横浜市鶴見区で10年にわたり地域づくりに励んできたIAPE(イアペ、外国人児童生徒保護者交流会)顧問の沼尾実さんと総聯神奈川・鶴見支部委員長の皮進さんに、今までの取り組みと課題を話し合ってもらった。 (張慧純記者) 

皮 進さん

 神奈川県生まれの2世。48歳。鶴見朝鮮初級学校、神奈川朝高、朝鮮大学校卒業後、朝鮮学校教員を経て、76年から鶴見区で活動を始め現在は総聯鶴見支部委員長。96年から鶴見区国際交流事業推進委員会委員。


沼尾 実さん  

 栃木県生まれ。47歳。横浜市立大学卒業後、76年から社会科教員。92年から鶴見区の横浜市立潮田中学校に赴任。93年に南米日系人の子供たちの母語保障などえを行うIAPE(外国人児童生徒保護者交流会)を設立し、代表に。現在は顧問。

出会い

朝鮮学校支える地盤を/皮

在日の生活知らぬ現実/沼尾

 ―お2人が出会ったきっかけは。

  90年代の初めのころ、沼尾先生が突然、支部に訪ねてこられた。

 沼尾 大学で研修をしていた頃、横浜の在日朝鮮人の歴史を知りたくて、調査や聞き取りをしていた。

  その時期は神奈川県など行政も「国際化」をうたいはじめ、同胞の生活実態の調査をしたり、外国人の意見を聞いていた。しかし、戦後一貫して管理、統制され続けてきた僕たちにとっては、調査より、具体的な実践を、との思いが強かった。最初は先生もその類いかな、と(笑)。

 ―その出会いが深まったのは?

 沼尾 研修を終え、鶴見区の潮田中に転勤し、在日朝鮮人問題に一緒に取り組む機会が増えたことから。

  先生との出会いは私にとってチャンスだった。

 地域にとって一番の宝は鶴見朝鮮初級学校。しかし、児童の数は減り、運営も大変で、このままでは学校を守れないと思った。ふと、足下を見た時、学校を支える地盤が根の張ったものではないと気付いた。朝鮮学校を幅広い日本市民に知ってもらう努力が必要だった。先生との出会いを通じて、色んな人に出会えた。

 沼尾 日本人の側にも深刻な状況があった。

 例えば学校のPTAの会合で在日朝鮮人の2世が話をする。外国人登録証の携帯義務があるとか、参政権がないという話が出ると、「えー、じゃあ、いつも(外登)持ってるの?」と驚きを隠さない。

 子供たちもそう。朝鮮人児童が出自を明かすと、「いつ韓国から来たの、日本語じょうずだね」という答えが返ってくる。在日の生活を何も知らなかった。

取り組み

合同でチャンゴ練習/皮

強制連行軸に演劇上演/沼尾

 ―具体的に取り組まれたことは。

 沼尾 子供たちに地域の朝鮮人の生活や歴史を知らせる授業を行った。

  印象深いのは、95年に潮田中の文化祭で上演された「泣きやまぬ風」という演劇。日本の植民地支配時代の強制連行などの歴史を軸に、現在も残る差別を問うものだった。

 沼尾 父親が在日同胞の菅野勝君が脚本を書いた。学校で「韓国人留学生」の話を聞いた菅野くんが、感想文に「僕の父は韓国人だから今日の話はよくわかる」と書いてきた。彼の父は、日本人と結婚することを親戚から反対されていた。その思いを感想文に書き、担任に伝えたことが演劇の始まりだった。皮さんに、キャストの朝鮮名をつけてもらった。

  そう。あの文化祭では鶴見初級学校の子供たちと潮田中の生徒たちがジョイントでチャンゴの演奏をした。ともに練習した過程が大事だったと思う。

 思えば、この10年、鶴見に住む在日の思いを伝えるチャンスがずいぶん増えた。潮田中や生麦小にチャンゴクラブが出来るなど、隣国の文化に自然に接する取り組みが生まれ始めた。

 沼尾 横浜では92年から市内のコリアンの子どもを対象にした横浜ハギハッキョ(夏期学校)が毎年1回、市内の小学校で開かれている。現場の教員や保護者が実行委員会を作っているものだ。ハギハッキョの一環で、子供と鶴見朝鮮学校にも行った。

  潮田中の徐聖美さんが、朝鮮語でお礼のあいさつをしましたっけ。

 沼尾 授業で「興味のある国、調べてみたい国」というテーマで、課題を与えたことがあったが、徐さんは自分の国の発表をすると言った。相談の末、徐さんと祖母の話を聞きに行ったが、彼女が祖母の思いに触れるのは初めてだった。

 授業で母国に触れた彼女は、その翌年にハギハッキョに参加し朝鮮学校を訪れたのだ。

  徐さんはハギハッキョに参加した後も同胞生徒が一同に集まるキャンプに参加したり、支部で朝鮮語も習ったりした。

 学校で作り上げた関係を地域に繋げていくことが大切だ。そうしないと、子供たちは行き場を失ってしまう。地域で人間関係を作り出す、という点では96年の「コリア文化の集い」が印象深い。

 沼尾 あれは1回切りのイベントで終わらず、長いスタンスで企画した。一般募集をし、バス1台で在日の歴史を学ぶフィールドワークをした。

 コリア文化の集いのほかにも、中国、沖縄、ラテンアメリカの祭りをすることで、マイノリティー同士の交流が深まった。

  積極的に出ていくことで区の認識も変わり、両者が行き交うようになった。今では地域の行事は何でも知らせている。

 ―普段大切にしている取り組みは。


 沼尾 地域に入り、人と出会うこと、また出会いを繋いでいくことを心掛けている。仲間が増えるから。

  私もそう。在日朝鮮人の思いを知って欲しいので、呼ばれたら必ず足を運ぶし、色んな場に顔をだしている。最近では他の地域からも電話が来る。

課題

卒業後も地域との繋がりを/皮

教育現場がもっと積極的に/沼尾

(鶴見朝鮮初中級学校を訪れた市内の日本学校に学ぶ同胞児童たち。1世の話に聞き入る。(95年9月9日))

 ―しかし、大多数の同胞児童は民族の文化に触れるチャンスがない。これからの課題は。

 沼尾 まず教育現場で在日外国人の在籍把握をしっかりするべきだ。日本国籍や通名だと、目に見えない。教師が積極的に関わらない限り、朝鮮にルーツを持った子は探せない。しかし、多くの教師は関わることをプライバシーや人権侵害と思っている。

  プライバシーと、とらえていること自体、問題を理解していない。子どもはいつかぶつかる。大人が問い掛ける作業をしないと、誰が閉じ込められた思いを解くのか。

 沼尾 マジョリティー側が「違いを出しても大丈夫」というメッセージを送り、仲間作りをしなければ。

  同胞同士もそうだ。違いこそ尊重されるべきで、そういう時代になりつつある。

 しかし、本名を名乗っていても、進学と同時に通名に変えてしまう子が多いのは、培ったものを発展させる地域の取り組みが足りないからだ。

 沼尾 年に1度のハギハッキョだけではなく、春や秋にも鶴見の子供たちを集めて、鶴見区内でもう1度ハギハッキョをすればいい。場所は朝鮮学校と日本の小学校の持ち回りで。

  ハギハッキョに高校生をボランティアとして募れば、子供同士の交流が深まりもっと新しいものが生まれる。

 どう生きるのかを決めるのは最終的に本人だが、その力を育む「出会い」をつくることが私たちの役目だ。

 沼尾 「鶴見ハギハッキョ」、対談で新しい企画ができた。

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