私の会った人
佐藤守さん
戦時中、日本に強制連行され、奴隷労働を強いられた中国人労働者らが日本敗戦直前に蜂起し、日本官憲によって200人以上が殺害されたという花岡事件で知られる秋田県大館市。ここで7年前まで中学校の社会科教師を務めた佐藤守さん(67)。退職した今も、地域で花岡事件の真相追及と日本の戦争責任を問いかけている。
戦時中、厳しい監視のもとに過酷な重労働と劣悪な生活条件に置かれたため死者が続出した花岡の朝鮮・中国人労働者たち。その中でも悲惨な事件として記されているのが1944年5月の「七ッ館事件」である。この事件は花岡鉱山の一角にあった七ッ館鉱床が坑内伏流水の異常出水で落盤したため、会社側は花岡川の水が直接坑内に流出するのを恐れ、作業中の朝鮮人労働者11人らを救出せず、落盤口を密閉、彼らを生き埋めにして殺した。 佐藤さんは、朝鮮人を虫けらのごとく扱い、虐殺したこの事件こそが、2ヵ月後に起きた200人以上にものぼる中国人大虐殺=花岡事件の布石だったと調査活動を通じて確信を深めている。 その姿勢は、広く地域の人々にも受け入れられ、様々な協力者も得た。役場にいる元教え子らからも、当時の貴重な資料の所在について通報してくれるようになったと喜ぶ。 「私が長い間やってきたことは、子供、親、地域の人たちが見てくれました。先生がやっているのは間違いない、という信頼に支えられて、運動を推進できたことを幸せに思う」と語った。(粉) |