東アジアの新しい事態
「ハルモニ」の記憶を共有すること
「沈黙の声」に耳を傾けよう 戦争と女性たちへの暴力に満ちた20世紀が過ぎようとしている。今まさにこの時、ハルモニたちの記憶をしっかり受け止め、記録する―。「自然的時間」との競争のなかで、決して諦めず、地道に「事実を積み重ねる」努力を、それぞれの持ち場で続けたいものである。
渡日後、5人の子を抱えて、言い尽くしようのない差別と苦労を重ねながら戦後を生き抜き、大きな事業を築いた。 本紙「語り継ごう20世紀の物語」(昨年10月4日付)で姜さんは「黙々と、こまねずみのように働いた半生」を語った。日本の植民地支配と女を見下す封建制。2重の差別構造と闘い続けたその苦難の歴史は、女性の強さと尊厳を取り戻す過程でもあったのだ。 読者からもたくさんの反響が寄せられた。しかし、何よりも嬉しかったのは姜さんから届いた手紙(代筆)だった。「(新報に記事が載って)私の生涯の苦労は報われました」と書かれていた。そこには万感の思いが込められていたのだと思う。 人は誰でも他人が踏み込んではいけない「記憶の古井戸」を持つ。思い出したくない記憶もあろう。それを語るのは非常に勇気がいる。同時に、勇気を後押しする周囲の支援も不可欠であろう。姜さんはじめ苦難の道を歩んだ女性たちの記憶を民族史、女性史の記憶として共有し、学ぼうとする次世代の存在こそ、彼女たちに大きな勇気と励ましを与えるのである。 「証言の時代」を決定づける衝撃的な事件は金学順さんが91年8月、ソウルで元日本軍「慰安婦」として最初に名乗り出たことである。これ以後、共和国、中国、台湾、フィリピン、インドネシアなど、日本の侵略戦争の被害を受けたアジア各国の元「慰安婦」など戦争被害者が、次々に半世紀以上の重い沈黙を破って証言するようになった。「それ以前の日本と東アジアの歴史になかった、全く新しい事態」(岩波書店刊「断絶の世紀 証言の時代」)に至ったのだ。 しかし、今また日本では過去の辛い体験さえ語らせない大きな力が再び台頭しようとしている。被害の記憶そのものが「隠ぺい、否認、わい曲、抹消といった暴力にさらされている」(高橋哲哉・東大助教授)時代でもある。侵略戦争を正当化しようとする政治家、閣僚たちの相次ぐ妄言は日常茶飯事の風景である。 こうした動きに意義申し立てをする様々な動きも活発化している。 「慰安婦」にされた女性たちの日常を追った映画「ナヌムの家」を撮った南朝鮮の邊永※(※=女偏に主)(ピョン・ヨンジュ)監督(33)は「性暴力、性差別は過去の問題ではなく、ハルモニたちが、そして私たち自身が抱える今の問題であり、今の生き方や今の痛みこそが大事」だという認識を示す。そして「私にとってドキュメンタリーはイデオロギー。もっと自分のイデオロギーを大切にしろと、若い人に言いたい」と語った。政治や歴史に無関心で、自分のことしか考えない若者が増えている風潮への厳しい叱責であろう。 身体と心に深い傷を負った被害者たちの重い記憶を導き出し、心を癒し、分かち合ったのは、南朝鮮はじめ世界の女性活動家たちである。世間に対する不信でいっぱいのハルモニたちと、長い歳月をかけ信頼関係を築いたのが彼女たちだった。その活動を支えてきたのは「彼女たちの受難は私自身の受難であり、彼女たちを歴史の闇に忘れ去ることは、2度殺すことになる」(尹貞玉梨花女子大元教授)という」記憶を共有しよう」とする真しな姿勢だった。 被害者の苦悩を自分のものにして、過去と向き合おうとする様々な動きは、想像を超えて今も広がりつつある。 3月の卒業シーズンにはある女子高校生の次のような投書が掲載された。「高校生によって企画された元『従軍慰安婦』と語る会で話を聞いて衝撃を受けた。…過去がいかに重たいものか。本などで知っているつもりで、実は知らなかったことに気づいた。彼女たちの苦しみは今もつづいている。…どれほどの血や涙が、日の丸や君が代のもとに流されたか。私たちは心で知らなければならないと思います」(毎日新聞3月10日付)。 さらに今年2000年の12月、東京では、旧日本軍による「慰安婦」制度が国家による女性への戦争犯罪であったことを明らかにし、誰が責任者であるか、どう処罰すべきであるかを示し、法廷の全記録を歴史に残す「女性国際戦犯法廷法」が開かれることになっている。あくまでも女性のイニシアティブで実現しようとする意味では、20世紀末の象徴的なできごとになるに違いない。 (朴日粉記者) |