わがまち・ウリトンネ(68)

京都・東九条(4) 


同胞学生がまとめた生活実態
大半が肉体労働者、京都ならでは友禅・染色工も

 堤防の上に長屋が連なる「ゼロ番地」(京都市南区東九条松ノ木地区)。現在ではほとんど人が住んでいないが、つい最近までここには多くの同胞が住んでいた。1970年代後半だけでも世帯数は94を数えた。

 前号でも触れたように、在日本朝鮮留学生同盟(留学同)京都に所属する学生たちは22年前の78年3月、11日間かけてこの地域の生活実態を調査し、その結果を留学同京都本部発行の機関誌「建設者」第4号にまとめた。

 調査対象は88世帯、330人に及ぶ。期間中、学生たちは「朝鮮同胞の生活に学ぶという観点を堅持した」という。調査という言葉から感じる威圧感を与えないためだった。

 写真も入れれば44ページに及ぶこの記録集は、ここの住人が散り散りになってしまい、まとまった証言結果を得られない今となっては、貴重な資料である。

 主な内容は、(1)渡日状況と現住地への移住 (2)地区の諸問題(仕事と生計、健康問題、環境事情、教育問題など) (3)地区同胞の意識(生活、国・民族に対するもの)――だ。

 当時の同胞の実態を知るうえで参考になるのは、やはり仕事や健康など生活全般に対する調査だ。

 例えば同胞の職業を見ると、1位が土木で、88世帯中13世帯が従事している。2位は「職安での紹介」となっているが、おそらくほとんどが日雇い労働であったと思われる。3位は自動車運転手だ。

 興味深いところでは、友禅・染色工が6世帯と、4位に入っている点。京都ならではの特徴と言える。今回、東九条トンネを案内してくれた金守一さん(77)も、丹波から出てきて、2年ほど友禅工場で働いたことがあるという。

 「生地についた糊(のり)をとるため、友禅染の風呂敷などを川に並べて水洗いした経験がある」(金さん)

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メ     モ 

  友禅とは、糊防染による優美で多彩な文様染をいう。江戸中期に京都の扇絵師宮崎友禅斎が創始した。

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 その他を見ても、電気などの労務、清掃などほとんどが肉体労働であった。会社員はわずかに2世帯に過ぎない。

 堤防の上に立つ家だけに、住環境も決して良いものではなかった。多くの世帯に上下水道が設置されていなかった。地区の幹線排出路は高瀬川と鴨川がその役割を果たしていたという。

 記録集には「水がくさくて、こまる。少し流して使わないとタオルが真黄色になるくらいだ」との住民の証言が残されている。
(文聖姫記者)

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