取材ノート

「ロックバンド」と「ホームページ」と「ハングル」と


 友人である日本人ロックバンドのインターネット・ホームページの制作を手伝った。日本語はもちろん、英語や中国語、ハングルのページも作りたいということで、私がハングルページの翻訳を引き受けたのだ。

 朝鮮学校に大学を含めて16年も通い、朝鮮語には不自由していないつもりだった。しかし、現在日本語版で仕事をする私が朝鮮語でまともに文章を書く機会は、実は思いのほか少ない。朝鮮語→日本語の翻訳にはある程度自信があるが、その反対となると、ほとんど初めての経験だった。

 インターネットだから、世界中の人が読むかもしれない。もちろん、朝鮮半島の人たちも読むだろう。そう思うと、とても緊張した。しかも翻訳するのはロックバンドの紹介文だ。「ミクスチャーロック」やら「インディーレーベル」やら、朝鮮語で一体なんて言うのか分からないカタカナ語の連続に、頭を抱えた。

 でも、一度引き受けたのだし、朝鮮人としてのプライドもある。数種類の辞書と格闘し、関連ホームページを次々とあたり、必死で1つ1つ調べながら翻訳を進めた。色々と大変だったが、調べる作業は新たな発見の連続で楽しかった。

 日本生まれの在日朝鮮人である私にとって、朝鮮語は母語ではない。でも、かけがえのない母国語だ。今回の作業は、その「愛着」に改めて気づくきっかけになった。

 胸を張って母国語と言うにはまだまだ勉強が足りないということにも改めて気づいたが、それでも今までより少し、朝鮮語が身近になった気がしてうれしくなった。 (韓東賢記者)

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