「分断は民族の死」
済州島4.3武装蜂起52周年を迎えて亡きアボジを思う/金淑姫
統一祖国への願いを「風化」させてはならない
春の陽気は、人々の気持ちをなごませてくれる不思議な力を持っている。春風とともに、新しい服とカバンなどをもって幼稚園に向かう末っ子の姿を見つつ、「目の中に入れても痛くない」ほど、ソンジャ(孫)を可愛がっていたアボジのことを思い出した。きっと「ほーおチビが」と目を細めては、ソンジャの成長を喜んでいるに違いない。 日本という客地で半世紀という年月を重ねた多くの一世がそうであったように、アボジも故郷・済州島の地を1度も踏むことなく昨年他界した。 日本で過ごした50余年には、そのきっかけとなるアボジの4月――済州島4.3武装蜂起がある。 米軍政、右翼や警察、軍の島民に対する無差別殺りくや弾圧によって未曾有の惨劇をまねいた4.3で、数万人にのぼる犠牲者が出たとされる。 しかし、4.3は数年前まで南朝鮮現代史のなかで、正しく評価されることなく、タブー視されてきた。 10代半ばの学生であったアボジも、47年8月に学生運動に身を投じ拘束され、4.3蜂起を経て日本へと渡った。 筆舌につくしがたい故郷での壮絶な出来事は、「分断は民族の死」といち早くのろしをあげた蜂起の精神を若きアボジの脳裏にくっきりとやきつけたに違いない。 後に戦禍に覆われる祖国の現状、日本で民族差別にあえぐ同胞の姿を通して、社会変革への意識を高めたアボジは総聯の活動家、文筆家として活動していった。 波乱の人生に屈することはなかったが、時代や世の中の流れと変化する同胞社会のなかで、自身の志を貫こうと焦り、嘆き、憤ることも多かったように思う。 あるエッセーで「正すべきを正してこそ未来がある」と指摘したアボジ。現代史において4.3が正しく評価されずにいる現状を憂え、島民の志向が踏みにじられた代価は絶対に報われなければならないとも言っていた。 そして昨年、4.3を見直そうと南朝鮮の「国会」で「4.3特別法」が制定された(別項)。 半世紀を経てやっとここまでこぎつけたのか――というのが率直な気持ちだ。空の上でアボジも喜び、友人たちと酒を酌み交わしながら論議を交わしていることだろう。 52周年を迎えて、4.3の犠牲者たちの御霊前に陽光がふりそそがれんことを祈りつつ、空を仰ぎ亡きアボジと語る。(静岡県在住、主婦) 「4.3特別法」の内容/真相究明、名誉回復 昨年の12月16日に南朝鮮の「国会」本会議で成立した。正式名称は、「済州4.3事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法(4.3特別法)」で、今月14日から施行される。 特別法は、その目的について「この法は4.3事件の真相を究明し、この事件と関わる犠牲者とその遺族らの名誉を回復させることによって、人権伸張と民主発展及び国民和合に寄与することを目的とする」と規定した(第1条)。 4.3事件の定義(第2条)については、1947年3月1日を起点とすることによって、4.3事件勃発の導火線となった同年の「3.1節集会に対する警察官の発砲事件」を背景とした。また、事件の終了日を漢拏山(ハルラサン)禁足令が解除された54年9月21日と定めることによって、朝鮮戦争当時に予備検束や獄中虐殺などで犠牲になった事件も、この法を通じて解決できることになった。 とくに、事件究明が遅れるのを防ぐため、4.3犠牲者及び遺族の審査・決定及び名誉回復に関する事項を審議・議決するための「国務総理所属下に済州4.3事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会」(第3条)を設け、委員会は構成から2年以内に資料の収集と分析を終え(第6条)、その時から6ヵ月以内に事件真相報告書を作成することを規定した(第7条)。 その調査の過程で、誰でも事件と関連して自由に証言することができ、犠牲者とその遺族だという理由でどんな不利益であろうと不当な処遇をうけないとした(第5条)。 また、犠牲者の中で治療と介護が必要な場合は、それに所要する医療支援金及び生活支援金を支給することができる(第9条)。 |