わがまち・ウリトンネ(63)

大阪・猪飼野(8)


ミョンテ売る日本人の店も
ウェディング・チョゴリ発祥の地


 朝鮮市場には、ミョンテ(明太)の乾物を売る店が数軒あるが、そのなかには日本人店主もいる。その店は、統制経済が進められていた戦時中、同胞を対象とした「特殊食料品組合」の、大阪市の本部事務所兼生野区での共販所となったところだ。共販所は当時、市内各区に1ヵ所ずつ設けられた。同胞の必需食品であるミョンテの乾物の配給を通じた、同胞の人員把握が目的であった。

 こうした理由から、日本人としては珍しい、明太の乾物商が生まれた。店は今も存在する。

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 市場が1年で最も活気づくのは、正月や旧正月、秋夕の前という。5日程前から、キムチ屋や餅屋などの前には行列が出来る。

 かつては全国各地から同胞たちが市場に足を運んだものだが、各地に朝鮮の食材を売る店が増えたせいで、今でも全国から足を運んでくるとまでにはいかない。そのため、市場では通信販売を手掛ける店が増えてきているという。

 同胞の店が集中する中央通を歩いていると、元気でユニークなハルモニに出会った。ここで30年以上、キムチを売っているという鄭東海さん(84)だ。市場にキムチを売る店が出来たのは70年代に入ってからのことだという。

 袋に入ったカクデギがあったので量と値段を尋ねると、1キロで500円という。だが見た目は1キロ以上あるようだ。確かめてみると、「どんぶり勘定ですよ」。1世のハルモニらしい答えが返ってきた。

 さらに市場を歩くと、ショーウィンドーに色鮮やかなチマ・チョゴリが並ぶ店が目についた。ブライダルハウス「クムガン」。オーナーは夫敬子さんだ。

 1世のハルモニが営んでいた店を70年に譲り受け、以来30年が経つ。当時は、6畳1間の家の扉を開け、畳の上に商品を陳列して経営していたという。

 ウェディング・チョゴリを同胞社会に広めた店でもある。

 「チョゴリの原型は残しながら、若い世代のニーズに応えられるものを作りたかった。日本で民族の心を守り、女性に夢を与えるのがチョゴリです」

 こうして80年代初に、ウェディング・チョゴリが生まれた。以来、全国から注文が殺到するように。ウェディング・チョゴリを手掛ける店も増えた。だが他店には真似のできない、オリジナルの生地が揃っている。

 昨春、トンネから愛知県に嫁いだ呉京愛さん(24)も、同店で衣装を作った。

 「成人式もこの店で作りました。今回も迷うほど多くの新作が揃っており、めちゃ気に入るもんが出来ました。トンネを離れるのは少し寂しかったけど、楽しい新婚生活を送っとるがね」と語った。
(羅基哲記者)

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