取材ノート
腐る本≠ニ腐らない本
つい先日、書店の帰りに友人と一緒に入った同胞焼肉店の店主にこう言われた。「いいね、本は腐らないから」。
確かに本は見た目では腐らない。ところが 腐る物 もある。例を上げるならば、タイのバーツ切り下げに端を発したアジア経済の危機は、それまで「こうすればアジアで儲かる」と、あおった経済書を一瞬にして無価値に等しいものにしてしまった。
再びアジアに「バブル」が到来しない限り、「アジア成功の秘訣」などと題された書籍の商品価値はしぼんでいくしかない。「価値(バブル)の崩壊」は、アジアのことを語りながらも軸足を日本に置き、日本にとって利となるアジアしか語ってこなかったことに原因があるのでは。
もう一つ 腐りつつある 本がある。
いわゆる「北朝鮮崩壊」とあおった、センセーショナルな本だ。以前、コリア関係の出版社と書店の紹介をした際に取材したある書店経営者はこう述べている。
「事実、堅固に存在している北をアメリカと日本は無視することができなくなっている。だから、 亡命者の証言 といったたぐいの本はもう限界に来ているよ」やはり、「バブル」は弾けるしかない。
一方、アジアの歴史、文化、社会をしっかり語り、軸足をアジアに据えて何十年経っても 腐らず に、その価値を維持し続けている本もある。
先の書店経営者は、「鑑識眼をもっている研究者、関係者のなかで、解放直後の南北朝鮮の原書を求める人が増え始めている」と言う。
アジアの民衆の立場にたって徹底討論した、「断絶の世紀 証言の時代」(徐京植、高橋哲哉・岩波書店)も「鑑識眼」をもった1冊だと思う。(金英哲記者)