高麗時代代表する霊通寺跡、朝・日共同調査の概要
寺院の伽藍位置を確認
朝鮮天台宗、始祖の墓跡も発掘
13〜14世紀仏教文化研究深まる
朝鮮民主主義人民共和国の社会科学院考古学研究所と大正大学(東京)が、1998年5月から翌年の夏にかけて、高麗時代(918〜1392年)を代表する仏教寺院の霊通寺跡を共同発掘調査した。
調査には、金鐘赫博士を現場責任者とする考古学研究所の発掘隊と、共同発掘調査団の共同代表である大正大学の斎藤忠名誉教授(別項にコメント)および在日本朝鮮歴史考古学協会の全浩天会長が参加した。
今回の調査の意義は、第1に、これまで解明されてこなかった寺院の伽藍位置を科学的に明らかにし、13〜14世紀の高麗仏教文化の研究をさらに深めたことにある。第2に、朝鮮天台宗の始祖である義天(1055〜1101年)の事績をより豊かにすることによって、天台宗の研究をさらに進めることができた事だ。
以下、霊通寺跡の調査概要の主な内容を写真と共に紹介する。
義天が仏法修行、歴代高麗王室からひ護
高麗初期に創建された霊通寺の跡は、共和国の直轄市・開城市龍興洞に所在している。歴代高麗王室のひ護を受けて隆盛した寺院の一つである同寺は、高麗の太祖である王建の祖先が4代にわたって暮らした場所でもある。また、各時代の王たちの肖像画が保管されていた寺院で、歴代の王たちが訪ね、仏教の行事を行ったところである。
霊通寺は、数次にわたって改築、拡張され、隆盛時には僧500余人を擁するほどの大寺であった。とくに、朝鮮天台宗の始祖であり、名高い僧にして学者であった義天が、幼くして仏法を求め、示寂後に葬られたところである。所在地は、開城市の中心地から東北に10余キロメートルの所にある。
2区域の伽藍配置
●発掘総面積
霊通寺跡に対する発掘総面積は、3万余平方メートル。その遺構は、東西2区域に分かれている。発掘状況を2区域に分けて概括する。
●2区域の伽藍配置
西側区域は、3つの建物跡と、鐘楼跡、夜の時を知らせる更楼跡、そしてこれらをとりまく回廊跡および幢竿支柱、塔からなっている。3つの建物跡および鐘楼跡、更楼跡、回楼跡そして塔は中門の基壇上におかれ、幢竿支柱は、中門と南門の間の空き地西側に位置している。
3つの建物跡と中門跡と塔は、南北一直線上に置かれている。第一建物跡は、塔の北側に置かれた最初の建物跡として、霊通寺跡の大覚国師碑に記された普光院であると推定される。第二建物は、第一建物跡の北側にある。第三建物跡は、第二建物跡の北側にある建物跡として大覚国師碑に記された重閣院と行宮とみられる。
これらの建物は、すべて基壇上に建てられていた。この建物群からは礎石、平瓦と丸瓦、軒丸瓦、磁器片をはじめとする多くの遺物が現れた。また、東西左右には、鐘楼と更楼跡が置かれていた。
一方、東側区域には、2つの建物跡が南北に配置されていた。中でも、北側の建物跡からは、平面が長方形である基壇上に置かれているが、そこからは柱石と瓦当と磁器をはじめとする遺物が現れた。また西側からは、南北に長く伸びた回楼跡が検出された。
山の傾斜面2段に削り基段を築く
東北隅に位置、義天の墓域
発見された義天の墓は、霊通寺の東北隅にあった。墓地は、住居跡の東北側にある山の南側傾斜面を2段に削りだして、それぞれの段に基壇を築いて造られていた。
義天の墓地では、800平方メートルの面積を発掘したが、再上段には、石造物と石片が散乱していた。ここには一辺114センチメートルの長方形の板石があった。この板石は、大覚国師碑の碑身の石と同質の石材であったが、上部の面には、蓮華文が彫られている。墓の南側には、祭堂とみられる建物跡があった。また、墓の北側山腹の岩には、二像の磨崖仏が彫られていた。
岩の東側の面には、如来像の頭部が、西側の面には菩薩像が彫られていた。義天の墓域からは、平瓦、軒丸瓦、陶器片などの遺物が出土している。
大覚国師碑は礎石、亀趺(きふ)、碑身、碑頭からなっている。碑の台石から碑の頭部までの高さは、4.52、メートルである。台石は、長さ2.88メートル、幅2.48メートルである。
石塔は、霊通寺の西側区域に3基が東西に並んで建てられている。幢竿支柱は、台石と2
つの石柱だけが残っている。
憧れの寺院跡に立ち感激/齊藤忠(大正大名誉教授)
1998年5月初旬に、大正大学創立70周年の記念事業として、開城の高麗寺院・霊通寺を訪ね、現地で日朝共同発掘の鍬入れをした。岩を砕き、水溜まりを越え、険しい山道を徒歩で1時間。遂に文献などで読んで憧れていた由緒ある寺院跡に立つことができ感動した。この寺は高麗時代の高僧・大覚国師の碑も残り、当代随一の名僧らが学問に励み、詩人たちが競ってその美しい景観を歌に詠んだ歴史に名高い所。本当はテントで1泊でもして、感激に浸りたかったのだが、狼が出没するということで断られ、とても心残りだ。(談)