わがまち・ウリトンネ(54)

千葉・習志野(3


雨の日には浸水、ため池≠ナ泳ぐ豚/同胞の思いこもる事務所

 前原町にある習志野分会事務所。地元の人々によると、数年前からほとんど使われていないという。昔はここに多くの同胞が住みトンネを形成していたので、分会事務所もいつもにぎわっていた。だが、今は近くに住む同胞の数もめっきり減り、交通の便の悪さもあって、他の場所で集まることが増えてしまった。

 しかし、この事務所には地元同胞たちの熱き思いが込められている。

 朝鮮解放(1945年8月15日)後間もなく、前原に多くの同胞が住み着くようになった理由はすでに記した。50年代末から60年代初めにかけて、彼らの多くが生活苦から朝鮮に帰国していった。

 「戦後間もなく建てたバラックのトタン屋根からはすぐに雨漏りしたものです。でも、日雇い人夫のその日暮らしの人がほとんどで、修理をする余裕などなかった」

 韓在益さん(82)はこう話す。

 「前原からは4、5軒が帰国していったんじゃないかな」

 同胞の数は、減少の一途をたどるようになる。

 一方、その頃、同胞たちの間では分会事務所の改築が論議されていた。地元出身の洪貞妃さん(49)は60年代頃ではなかったかと記憶している。

 洪さんの父、應昌さん(故人)は、韓在益さんらとともにそのために奔走した。

 「大人たちが募金を集めるために、チャンゴたたいて、ケンガリを鳴らしながら市川まで歩いたのを幼心にもはっきり覚えてます。少しでも多くの人の目にとまるためのパフォーマンスだったんですね」と洪さんはいう。

 「土方をやっていた人が多かったので、特別に頼まなくても、アボジたちの力で十分建てられたんです」

 こうして建てられたのが、今も残る事務所である。

 洪さんは幼い頃、土取り場トンネで豚が泳ぐのを見たことがある。

 「あそこは下水も何もないので、雨が降るとすぐに浸水して ため池 が出来てしまうんです。もちろん、人間は畳を上げて他の場所に避難しますが、豚を連れていく時間的余裕がない。それで、放置された豚が水につかり泳ぐのを見たんですね」

 今となっては笑い話だが、当時はたいへんな生活ぶりだったことがうかがえる。

 韓さんの妻、許玉子さん(72)はここで子供たちを育てあげた。

 「昔は若い人から年寄りまで、みんなの溜まり場でした。もちろん、生活はたいへんだったけど、トンネの温かさは本当にありましたよ。だから自然に同胞たちが集まってきたんですね」と当時を懐かしんだ。
(文聖姫記者)

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