わがまち・ウリトンネ(51)
名古屋・弥次ヱ(4)
今は住人のほとんどが高齢者/空地を利用し食べ物商売
1962年9月に建てられた弥次ヱ荘、新弥次ヱ荘は、2階建てから4階建てまでの38棟(581戸)、A棟からM棟までの住宅群で形成されている。
サンチュなどを植えた畑
71年初、広島からこの市営新弥次ヱ荘に引っ越してきた金弥善さん(80)は、L―3棟に住む。
金さんは、「L―3棟と名付けられたのは80年代に入ってからだと思います。それまではL棟とローマ字だけでした。だから同胞宅を訪ねるのも、例えば、K棟の前から何番目、後から何番目の何号室といった具合に訪ねていました。でもどちらが前か後かは、人によってそれぞれ違うので、迷いました」と笑う。
部屋は4畳半の2間あるいは4畳半と6畳の2間と狭く、家族が増えるにつれ引っ越す人も少なくなかった。
住宅の完成当初から住む林秀夫さん(86)と、金さんの案内で弥次ヱのトンネを訪ねたが、そこで驚くような光景を目撃した。住宅前の、5メートルほど空いたスペースに家が増築されていたり、サンチュや大根が無造作に植えられていたのだ。
1階に住む金さん宅も、トタンを重ねて増築していた。
「空地を利用して、てんぷらやうどん、お好み焼き屋などの食堂、喫茶店…、同胞たちがあちこちで店を開いていたんです。私も食堂をやっていました。野菜は自給自足で、毎日もぎ立ての新鮮な物を食べています」
金さんは、「昔は1日中、同胞たちの声が行きかい賑わっていた」と懐かしむ。
同胞の集いなどがあると、「時間になったから集まりに行きましょう」と、外から大声で叫んだこともあったという。
しかし、「同胞数はめっきり減り、今では約80戸が残っているにすぎない」(林さん)。しかもほとんどが高齢者だ。コツコツ貯えたお金で、よそに家を買って引っ越していったという。空き家が増えるばかりで、引っ越してくる同胞もいない。
(この項おわり=羅基哲記者)