知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて
カンガンスウォレ(強羌水越来)
豊臣軍の侵略時、朝鮮軍の士気を鼓舞
数10人が輪になり歌に合わせて踊る
「カンガンスウォレ」は今から約400年前、豊臣秀吉が1592年に朝鮮を侵略した壬辰倭乱(イムジンウェラン)の時に生まれた歌舞である。
当時、三道水軍の統制使だった名将、李舜臣将軍が日本軍を迎え撃った時、全羅道海岸地方の麗水(リョス)、海南(ヘナム)、木浦(モッポ)の民衆が海辺でかがり火をたいて、歌ったり踊ったりしながら朝鮮軍の士気を鼓舞したのが始まりであるといわれている。
「カンガンスウォレ」は漢字で書くと、「強羌水越来」となる。「強い敵が海を渡ってやってくる」という意味で、その「強い敵」日本軍を朝鮮民族が力を合わせて追い払おうという願いがこめられている。
その願いが通じたのか、李舜臣将軍はものの見事に日本軍を打ち破った。
そして、民衆たちは勝利を収めたその日を忘れまいと、歌舞としてこんにちまで伝えてきた。
数10人が1組になり、それぞれが手をつないで輪になる。輪の中央に歌をうたい音頭を取る女性が1人位置し、その回りの女性たちが「カンガンスウォレ」を繰り返し囃子(はやし)を入れる。
山よ山よ/わが山よ/カンガンスウォレ
遊びに来るなら/白頭山よ/カンガンスウォレ
花が咲いたら/花咲く爺/カンガンスウォレ (全羅南道木浦地方の歌)
踊っているうちに踊りの輪は大きくなり、2重3重にもなる。時には反対方向に踊りの向きが変わったり、前に進んだり左右に進んだりして踊りそのものに変化を持たせる。
また、音頭を取る女性の歌のテンポが早くなってクライマックスに達すると、踊りについていけない脱落者が出る。その数が多くなった時点で小休止をする。
現在も10種類程の歌詞が残っているといわれ、旧正月や中秋の名月の時、またそれらに関係なく祝い事があった時に行われている。