ニュースの眼
米国務省前朝鮮担当官が回顧録
基本合意文(94年10月)にほとんど反映
平壌で受け取った秘文書
核問題の交渉、朝鮮主導が明らかに
朝米基本合意文(94年10月、ジュネーブで締結)のたたき台とも言うべき 秘文書 (Non Paper)が、合意文締結の1年前に朝鮮から米国に渡されていたことが明らかになった。当時、米国務省朝鮮問題担当官だったケネス・キノネス氏が南朝鮮で出版した回顧録の中で触れたもの。第2回朝米会談(93年7月)で米国は、朝鮮の軽水炉導入を支持し、2ヵ月以内に第3回会談を開くと約束していた。しかし、南朝鮮当局と米保守強硬派の反対によって朝米関係は膠着状態に陥った。キノネス氏が明らかにした 秘文書 は、こうした事態を打開する方策を示したもので、朝米基本合意文にその内容のほとんどが反映されていると同氏は証言している。
同回顧録によると、キノネス氏は米下院東アジア太平洋小委員会のゲリー・アッカーマン委員長ら一行と板門店経由で帰途につく93年10月12日の早朝に朝鮮外交部(当時)の李局長から 秘文書 を受け取った。
秘文書 とは、「政府間で交換する極秘文書」で、万が一「外部に流出したり大衆に漏出(ろうしゅつ)した場合、政府は 秘文書 の信憑性(しんぴょうせい)をすべて否認することができる」(回顧録)と言う。
そして 秘文書 が協商の余地がある 草案 で、「 最高指導者 も秘文書の内容に満足」しており、朝鮮が願うのは「核問題の政治的解決であり、法的解決ではな」く、 秘文書 は「朝米基本合意文の内容を、すでにひとつ漏らさず含んでいた」とキノネス氏は証言している。
秘文書 は(1)問題解決策 (2)第3回会談に先だった非公式政策段階小会談の開催 (3)第3回朝米会談の日程と内容などの項目を設けて、朝鮮側の立場を明確に示している。
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朝鮮と米国は93年6月11日に共同声明を発表して核兵器を含む武力を行使、威嚇せず、双方の自主権を尊重することを約束し、朝鮮は核拡散防止条約(NPT)からの脱退を一時停止すると発表した。
そして、その約1ヵ月後に発表された共同報道文で米国は、朝鮮の軽水炉導入に支持を表明し、2ヵ月以内に次回(第3回)会談を開くと約束した。
しかし、朝米の接近に当時の金泳三「大統領」は米国がこれ以上朝鮮に「譲歩すべきではない」と猛反発し、これに米国の軍や情報部などの保守強硬派層も加わって、朝米交渉は暗礁に乗り上げた。米国がIAEAの査察と南北対話の進展を朝米交渉の前提条件として持ち出したのだ。
こうした状況の中でキノネス氏らが訪朝したのだが、 秘文書 で示された「一括妥結方式」は、その後、朝米会談の朝鮮側団長の姜錫柱・外交部第1副部長が11月11日に談話という形で発表している。
そして11月23日、米・シアトルで行われた金泳三とクリントン大統領との会談では、「徹底的で幅広い接近方法」で朝鮮の核問題を解決することが合意された。「徹底的で幅広い接近方法」とは、朝鮮側が呈示した「一括妥結方式」に通じるもので、金泳三が猛烈に反対したためにこのような表現になったと言われている。
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こうしてみると、 秘文書 が、朝米関係改善において、決定的な役割を果たしたことが分かる。つまり朝鮮は冷静な洞察をもって米国と交渉し、朝米基本合意採択という目的を達成し、さらに朝鮮半島における米国の影響力の排除――朝米平和協定締結、米軍撤退に向けて、その努力が続けられているのだ。
朝鮮で出版された長編小説「永生」や「歴史の大河」には、朝米関係について金正日総書記が直接指揮している内容がリアルに描かれているが、 最高指導者 も満足しているというキノネス氏の回顧録は、 秘文書 もやはり金正日総書記の指導によるものであることを示唆している。 (元英哲記者)
回顧録(抄訳)
文書を受け取りながら私は、彼(朝鮮外交部の李局長)に朝鮮政府のどの線までこの文書の内容を承認したのかと尋ねた。李は、 最高指導者 も秘文書の内容に満足したと私を安心させた。私は、問題の秘文書を誰にも漏らさず、そのまま米政府に伝達すると約束した。
李は 秘文書 を協商の余地がある 草案 だと表現した。彼は、最近のニューヨーク実務会談を想起させながら私に、朝鮮が願うのは核問題の政治的解決であり、法的解決ではないことを想起させた。秘文書は彼が言う 総括的な一括協商 の、可能なバロメーターを縮略していた。
そして1993年10月、朝鮮が私に渡した 秘文書 は、それから1年後の1994年10月に締結された朝米基本合意文の内容を、すでに1つ漏らさず含んでいた。
朝鮮が渡してくれた秘文書の 草案 は、1年後に署名された朝米基本合意文とほとんど同じだ。実際に平壌は、1つだけを除いて主要目標をほぼ達成した。 草案 で約束された臨時および定期査察は、合意文に含まれた。