私の赤ちゃん
命の神秘に気づいた、同胞生活圏を守りたい
親ばかとはよく言ったものだ。こんなに可愛い子が存在していいのか。紙おむつのパッケージモデルに採用されるのでは、といらぬ心配をするほど我が息子に惚れ惚れしている。
初産にして5時間半という軽いお産だった私は、分娩室で冷静に息子の誕生を目のあたりにした。アッという間だったので、本や雑誌によく書かれているような「感動」を味わえなかったのが、チョッピリ心残りだった。
産婦は忙しい、ということも実感した。新しい命の誕生の喜びも束の間、初乳を与えるために助産婦さんのオッパイマッサージを受けなければならない。その横のベッドで、息子は「早くお乳を頂戴」とでもいうように火がついたように泣く。マッサージによる痛みは想像を絶する。その泣き声を励みに痛みを我慢してせっせと搾ると母乳の量も増えてくるから不思議。命の神秘とはこういうものかと気づかせてくれた。
満腹になってスヤスヤ眠る息子の寝顔を見ながら、自分の命にかえても守ってやりたいという愛情が突き上げてくる。ゾウやウマのように生まれた赤ちゃんがすぐ一人立ちし、歩けるようになれば、人間の子育ても本当に楽かも知れない。でもそれこそアッパとオンマがいなければ何もできない無力な乳児だからこそ、親として鍛えられ、成長させられるということかも知れない。
正直いって不安はいっぱいある。毎日のニュース番組を見ると、子供の世界でのイジメや自殺の類のものが溢れている。リストラが続く世の中、明日のことは誰も分からない。日本の社会の闇は深くなる一方だ。
こんな環境の中で、我が子を朝鮮人としてのアイデンティティを持つ人間にしっかり育てていかなければという責任をひしひしと感じている。そのためにもウリハッキョや同胞生活圏を守ることこそ、若い世代の親がまず取り組むべき 仕事
ではないかと私自身、親になって初めてそのことに気づかされた。
(保谷市在住・鄭成玉)