わがまち・ウリトンネ(48)
名古屋・弥次ヱ(1)


伊勢湾台風で家失った同胞たち/避難所から市営住宅に

 東海道新幹線、東海道本線に隣接する愛
知県名古屋市南区の弥次ヱ(やじえ)地区。その弥次ヱ4、5丁目にまたがる38棟、581戸の市営住宅(弥次ヱ荘、新弥次ヱ荘)群の中に、同胞たちが密集して住むトンネが形成されている。

 全国には、借地問題によって立ち退いた場所に建てられた団地やアパートに移り住んだという、福岡市の金平団地や神奈川県大和市の桜森アパートなどがあるが、ここは事情が違う。

 団地が完成したのは1962年9月。その3年前の59年9月26日に襲来した伊勢湾台風で、家屋を失った同胞を含む被災者たちが入居したのだ。

 林秀夫さん(86)もその1人だ。台風の半年前に、トンネに近い宝生町に引っ越して来た。31年、18歳の時に、愛知県にいた親戚を頼って家族とともに日本へ渡って来た。故郷の慶尚北道で農家を営むだけでは生活できなくなったためだ。

 隣接する星崎町の星崎市場で、サツマイモの天ぷら売りをして生計を立てた。それまでは、愛知県豊橋市でシュウマイ製造業を営んでいたが、そのかたわらで始めた事業に失敗し、借金返済のために、家まで売るはめになったという。

 天ぷら商売が軌道に乗るかと思った矢先に、伊勢湾台風が襲った。家を失った林さんは、大江川から少し離れた桜台高校の体育館で、避難生活を送った。

 「避難所には同胞が多くいた。着る物、食べ物は行政から配られたが、その中には全国の同胞から寄せられた救援物資も含まれていた。また、同胞青年らも急きょ駆け付け支援活動を行っていた」

 阪神・淡路大震災(95年1月)の時に、各地の同胞から「サランの救援物資」が寄せられたが、とりわけ愛知県の同胞らが「伊勢湾台風の時に支援してくれたことを忘れていない」と、給水タンクや仮設トイレ、自転車、衣料品など、多くの支援物資を被災地に送ったことは記憶に新しい。

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 避難所生活も2ヵ月が過ぎようとした59年11月19日、南区弥次ヱ町(現在の立脇町)に、応急仮設住宅が84戸建てられた。12月末にはさらに218戸が完成した。「入居者の半数近くが同胞だった」(林さん)。

 だがこれはあくまでも仮設。市では同時に、弥次ヱに住宅の建設も始めていた。62年9月、最初の5棟が完成したのを皮切りに、38棟が建設された。林さんを含め、仮設住宅に住んでいた同胞のほとんどが転居した。

 このようにして、市営住宅群の中に、弥次ヱトンネが形成されたのだ。 
  (羅基哲記者)