わがまち・ウリトンネ(47)/東京・馬込(4)


結婚式もあげた分会事務所
現在は駐車場、収益金で新築し3世へ

解体される前の総聯馬込分会事務所(1月23日、
前列中央が魯晋伯さん、その左側が金永文さん)

 馬込トンネの中心地の一角には、「東京 大田 馬込 朝鮮人会館」と書かれた、敷地30坪の木造2階建ての家があった。トンネのシンボルとして、同胞らに長年愛されてきた総聯馬込分会の事務所だ。 1960年、1世同胞らの努力によって建てられて以来、これまで40年間、同胞らの憩いの場として分会活動を盛り上げる役割を果たしてきた。

 事務所の隣に住む金永文さん(72)は、「何かあればここに集まり、今後の生活などあれこれ話し合いました。馬込の同胞は歌と踊りが好きだと言われますが、ここで習い、練習したんです。そう言えば、結婚式もここでやったことがありましたね」と懐かしむ。 しかし、建物の老朽化などの理由から1月24日、借地だった一部の土地を購入して、事務所は解体された。現在は駐車場として整備され、運営されている。

 土地管理委員会事務局長の卞允植さん(60)は、「これは1世が造った財産を消滅させるのではなく、彼らの意を私たち2世が継ぎ、分会の土地を効率よく管理・運営して、3世、4世たちに託すものです」と語る。

 というのも、駐車場の収益金は今後10年を目途に、新しく建てる分会事務所の建設資金として貯金していくからだ。またその間の収益金は、分会の花見や新年会の費用に使ったり、出産・入学祝賀金、冠婚葬祭慶弔費、敬老慰労費などにも充てるという。

 土地の購入、解体費、駐車場整備費などで、少なからぬ費用がかさんだ。これまでの発想だったら、同胞からの寄付金という形でその費用を調達していただろう。しかし、ここでは違った。

 土地管理委員会代表で、総聯馬込分会長の金猛さん(58)はこう強調する。

 「発想を転換して、 出資金 を募集し費用を調達しました。みな、快く承諾してくれました。駐車場の収益金は同胞同士の親ぼく、福利厚生事業に還元されるので、これはいわば、『分会債券』とでも言えましょうか」

 祖国の解放(45年8月15日)後、「同胞がいる」との消息を頼って同胞が集まり形成された馬込のトンネ。それから55年、分会事務所の解体とともに、トンネを知る同胞は年々少なくなっている。

 近年、トンネを出る同胞はいるが、入ってくる同胞はいない。現在は約60戸の同胞宅があるにすぎない。それでも、隣近所のつながり、同胞の輪は、1世から2世、2世から3世へと受け継がれようとしている。

 「1世が先頭に立ってトンネを盛り上げたように、これからは2世、3世がそうする番ですね」

 金永文さんの言葉に、トンネの明るい未来を感じることができた。
 (この項おわり=羅基哲記者)