知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて
瞻星台(チョムソンデ)
慶州に残る最古の天文台
天体、気象を正確に観測/高句麗時代、平壌城にも存在
朝鮮半島では早くから天文・気象学が発達した。天文・気象観測は体系的に行われ、数多くの日食、惑星、彗星の運動や気象現象の記録が残されている。例えば「三国史記」には、すでに419件の観測記録が記されている。
また、高句麗時代には天文図が作成され、それを基に1359年に世界最古の恒星表の1つである「天象列次分野之図」が作られた。この図には、1467個の星、282の星座が記入されている。
その姿を今日にも伝えているのが、慶尚北道慶州に現存する天文気象観測台、瞻星台である。新羅の善徳女王時代、647年に王城のあった半月城の北西に築かれ、世界でも最古のものとして広く知られている。
全体は石材からなっており、高さは8.8メートル、底面は直径約5メートル。切石を27段に積み重ね、上にあがるにつれてその円はだんだん、小さくなる。
そして、頂上に四角の枠を作り、そこに観測設備をすえて天体、気象を観測した。
瞻星台の位置は、新羅時代の天文観測の標準線に当たり、正四角形の台石は東西南北を指す四方位の基準になっている。
さらに、ドームの外形がどの方角から見ても丸く同じ形をしているので、季節や太陽の位置に関係なく陽射しの方向と影の長さが測りやすくなっており、このことによって正確な時間測定ができた。
また当時、中国の天文台でも見られなかった春分や秋分点、冬至、夏至点も正確に測れる構造になっていた。まさに、天文科学の粋を集大成した建築物であり、その水準がいかに高度なものであったかをうかがい知ることができる建築物である。
しかし、冒頭に書いたように、新羅時代になって初めて登場したものではない。
「世宗実録地理志」などによると、高句麗ではすでに平壌城内に存在していたというし、百済でもやはり4世紀頃から建てられ、天文観測をしていた。
瞻星台が築かれた大きな理由の1つは、農作物の収穫を占う上で天文・気象測定が不可欠であったことだ。そしてもう1つは、為政者の威厳を示す象徴として建築されたという。
瞻星台の「瞻」は、「仰ぎ見る」という意味を持つ。古代国家において為政者たちは、王は「天命」を受けて民を治めるという論理を展開した。
とすれば、「天命」を測り受けるための瞻星あるいは占星は、極めて重要な国家行事としての位置を占めていたのだろう。