取材ノート/イラン人一家の和服姿
先日、超過滞在外国人の在留特別許可の問題を取り上げた。不法滞在状態の外国人に法相の特例として認められるものだが、これまでは日本人配偶者がいる場合以外は、ほとんど認められてこなかった。今回、そうした事情を持たない人たちが集団申請し、一部が認められた。事実上の基準拡大だ。
集団申請をした外国人と支援者らは、彼らが「日本人と変わらない暮らしをしている『善良』な市民」であることを強調した。とくに、子供たちは「日本の学校に通っていて日本語しか話せない」「本国の文化も宗教も分からず、帰っても暮らせない」などと訴えた。この問題を特集したテレビ番組では、家族揃って和服を着て初詣でに行くイラン人一家の姿が映し出された。
幅広い理解を得るためには必要な主張だと思う。子供たちだってそれが「素直」な本心だろう。和服だって強制されてはいないはずだ。でも、何かひっかかるのだ。私には、「同化を強いられている」姿に見えてしまう。
法相の裁量で認める在留特別許可は、「恩恵」的な性格が強い。「施す」側の圧倒的な力の前に、それを受ける側は「私たちこんなに日本に適応していて、もう日本人と何も変わりません。決して日本の害にはなりませんから認めて下さい」という「お願い」に陥りがちだ。特別永住資格を持つ在日同胞の「帰化」申請、「参政権運動」における一部論者の論理…。同じような落とし穴は、私たちの周りにもある。
時代は変わり、対象によってレベルも違うが、「同化」と「排除」の論理で外国人を「選別」する日本政府のやり方は変わらない。多様化する外国人をランクづけし、断絶させるという意味ではより巧妙にさえなっている。「オールドカマー」在日同胞は、この辺にもっと敏感になるべきだ。
(韓東賢記者)