知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて
チョゴリ、パジ、チマ
夫余や弁・辰韓時代から白衣/染料かけ抹殺しようとした日帝
朝鮮民族の伝統的な衣服といえばチョゴリ(上衣)、パジ(袴)、チマ(裳)、そして外套として着るトゥルマギとなる。色は白を好み「白衣民族」とも呼ばれた。
日本帝国主義の植民地支配時期、日本支配層は白衣を着続けるその姿を、植民地支配に対する無言の抵抗ととった。そして、その抵抗を押さえ込むために、田舎の市場ごとの入り口に大きな釜を常時置き、その釜で黒い染料を沸かして白衣を着て市場に出入りする人々にその染料をぶっかけ、白衣をなくそうとした。
しかし、朝鮮民族は「餅売りは市場に行った/麻服は墨の汁だらけ/服が黒くなろうと/腹の中まで黒くなるものか」(南道アリランの一節)と歌って白衣を着続けた。
古代中国の文献(「魏志」、「梁書」など)によると、扶余や弁韓、辰韓の時代からすでに朝鮮民族は白衣を常服としていたという。
チマ、チョゴリに代表される朝鮮の衣服は、歴史的には北方の胡服系統に属するとの説がある。
胡服とは、北方の騎馬民族である胡人が着ている服で、上半身と下半身に着る服が別々になっているものを指す。保温に適し、馬にまたがるので敏しょうな動きが可能になる事から生まれたという。
モンゴルで、この服の原型ともいわれる1世紀頃の衣服が出土しているが、今日のチマ、チョゴリと根本的には変わらない。また、高句麗の古墳壁画に、その初期の物が見られる。
李朝時代初期までは1メートルくらいの長いチョゴリを着て、腰を布か革のバンドでしめていたが、16世紀末以降、丈が短くなりバンドもしなくなった。
白衣のチマ、チョゴリを庶民が着るようになったのは、紅、青、緑、黒色は官色で庶民が着ることは禁じられ、さらに黄、紫、灰色は禁色であったため、庶民は白しか着ることができなかったという説、染料は貴重品で高価だったので庶民には高嶺の花だったという説、太陽崇拝や敬天思想の影響から白を好んだ、など諸説がある。