春・夏・秋・冬

 金属バットで母親を殴殺する、わが子を虐待したあげく山中に捨てる――。「世紀末」という言葉は使いたくなかったが、最近、ひんぱんに起きている社会的事件を見るにつれ、そう思わざるを得ない。米大統領選挙の混迷ぶり、南朝鮮での自殺請負事件もしかり。世の中、狂っているのではないかと思えてくる

▼「世紀末」という用語は古くからあったが、1886年にパリで上演された「ファン・ド・シエクル(世紀末)」の大当たりがきっかけとなって広く口にされるようになった(平凡社刊世界大百科事典)とのこと。デカダンス(退廃、衰退)やペシミズム(えん世主義)と言った言葉を伴い、懐疑主義と同じ意味で使われることから、暗いイメージしかわいてこない

▼18世紀後半、イギリスで起きた産業革命は、20世紀に驚異的な発展を遂げた。生産性が飛躍的に向上し、物質文化が比べようもなく豊かになった。マルクスならずとも、物質文化が豊かになれば、人間の生活も豊かになると思っていた。少しだけ働けば、あとは人生をおう歌することができる、誰もがそう考えていた

▼たしかにマイカーを持ち、電化製品に囲まれて便利な生活は送っている。世界中から届くおいしい物、珍しい物も食べることができる。でも、それで心が満たされたのだろうか

▼貧しくてもいい、一家だんらんに暮らしたい。庶民のささやかな願いだ。経済的に豊かでなくてもいい、統一した祖国で暮らせれば。朝鮮民族の一致した思いだ。20世紀最後の年に、その希望が生まれた。来世紀こそ……。(元)

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